初學者の繪[四]輪廓

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第十八
明治39年11月3日

初學者の繪〔四〕輪廓
 大下藤次郎
 ▲形の正確といふことは繪の要素である。これが缺けてゐては、如何に調子が面白くとも、如何に色彩が艷麗であつても、それは繪として遇する事は出來ぬ。
 ▲松は松生來の形がある。杉は杉特有の形がある。無論色彩の上にも相違が見ゆれど、重なる區別は皆形の上にある。
 ▲松の色、杉の色と、如何に精密に觀察し、紙面を彩つても、其眞は現はれぬ。形さへ正しく其特質を描き出せば、一色の墨繪にても充分それと感じさせることが出來る。
 ▲初學の人のみならず、隨分久しく筆を持つてゐる人でも、徒らに皮想に趨つて、たゞ達者にさへ描けばよいと考へて、此重大な點を閑却してゐる人が少なくない。
 ▲勿論ある自然の大景を模するにあたり、時には、其松たり杉たることを區別する必要なく、たゞそこに、樹木があるといふ概念さへ與へればそれでよいこともある。併し此塲合でも、その大體の輪廓のうちに、其物質が現れたなら、一層其繪に深い感じを與へるに相違ない。
 ▲草本の輪廓は、多少の誤りは其繪に影響する處が少ないが、建築物の輪廓の崩れたのは、誰れにも目について、不快の感を與ふるもの故、一層大なる注意が必要である。
 ▲平行なるべきものが甚しく傾いたり、屋根と廂と土臺との線が、水平線に統一しなかつたり、視點が庭々にあつて、恰もあちこち歩行しながら、寫生したかと思はるゝやうな畫は、初學の人に往々見受けらるゝ。
 ▲茲に到つて透視畫法を學ぶ必要が起つて來る。透視畫法さへ知つてゐて、それを應用すれば、决してこのやうな間違は起らぬ。
 ▲併しながら、透視畫法を知らぬから、建物の寫生は全然出來ぬといふ事はない、畢竟かゝる輪廓の間違を生ずるのは、マダ物の形を正確に寫す力のない證據である。輪廓さへ滿足にとれぬうちから、着色するなどは大膽といはねばならぬ。
 ▲殿堂樓閣の如きは別として、通常の建物であれば、少しく注意を密にして寫生する時は、正しき形を寫すことは難事ではない。物體の直曲線を正しく見る力、また物の角度を見取る力があれは、透視畫法の知識は不充分でも、ある程度迄は問違なしに寫生することが出來る。
 ▲眼の力は何によつて養ふ事を得るか、それは静物寫生である。静物寫生を充分研究すると、物の角度を早く見取ることが出來、また釣合比較といふことをも悟る。即ち眼の練習をなすのである。
 ▲静物によつてそれ等の力を養つた上、更に見取定規(水彩畫階梯參照)を使用すれば、粗ぼ正確に建築物を寫す事が出來る。
 ▲見取定規を巧に使用する時は、物の角度は正しく現はす事を得れど、物の遠きに從つて縮少してゆく割合は、見積り、即ち眼の力によらねばならぬ。
 ▲透視畫法を修むる必要は、こゝに至つて益益明かである。要するに、建築物の寫生は、單純なるものは、眼の力及び、見取定規によつて畫き得べきも、複雜なるものは、透視畫法の知識を應用せねばならぬ。
 ▲透視畫法は、初學の入には最初はムヅカシイかも知れぬが、一般の知識さへあれば、應用の出來るものであるから、書物にてなり、師に就きてなり、諸君は一通り研究せられたい。
 ▲寫生用の解し易き透視畫法は、いづれ本會の、丸山眞野兩氏によつて、編輯出版さるゝ筈である。

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