日本の秋(一)
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アルフレツドパーソンス
『みづゑ』第十八
明治39年11月3日
自分が日本に着いた時は、雨勝な天氣ばかりで、毎日それに不足をいうやうな春の頃で、それから夏の濕氣深い陰鬱な日を暮らして、今に秋となると一週々々に純爛たる日光は增して空氣は清潔になり、聖密其兒祭(九月廿九日)から基督降誕祭(十二月二十五日)の間は殆ど雨を見ない位だといふ友人の誓約に慰められて居つた。友人の話も、氣候の事で、例外もあろうし、また或は嬉しがらせの話しであらうかも知れない、十、十一月となれば、今よりは快晴な天氣もあらうけれど、戸外で寫生の出來ない日は一週に一二日はあらう。で友人は、また楓葉の燦然たるを説き、丘陵や巖石の多い谿谷は錦繍綾羅を以て飾られて、雅客の渇仰も全くこれにょりて充たされると語つたが、誰あつて、かの稻田の畔を深紅色の總で飾つて居る百合の花(彼岸花の美)を説くものがない。自分は此花を初め東海道の可なりな町の濵松で見た。自分がこゝに著いたのは、中央小週遊の後で九月の十六日であつた、此百合の花の純爛たる色彩が酷く意にいつたので、これを急で寫生することゝした。其急ぐといふ譯は旅行券の期限がきれるのと、此花がそう何處にもあるまいといふ懸念があつたのである。後で考へると、何もそんなに急いで寫す必要はなかつた、實に此花は到る處にあるので濵松は自分が見た他の日本の町とは全く趣きを異にして居る。家屋は二階が突出て屋根は廣く垂掛つて居る。重なる商業は玩弄物らしい。大概の店は太鼓や凧。人形や其附屬品、日本人がその愛兒に與へて喜ぶ千差萬別の玩弄物で充されて居るのである。自分がある一小庭園を過つた時に、實に殘忍を極めたらしいものを見た。それは幾十個となく、宛ら死んで居るかのやうに蒼白く灰色の小兒の首を棒の先へ突刺して、地面へ立並べてあるのだ。がやゝ近付いて見うと、秘密が明白となつた。其首は紙製の人形ので、仕上塗をする前に、日向に干して置いたのであつた。隣の村がまたをかしい、何の家も何の家も風禦の爲に屋根に紫杉の丸大をぶつちがいにして載せてある。通路は厚く葺いた屋根が兩方から被ぶさつて居るので、緑の城壁の間を行くやうな意がする。明放してあるので皆一目に見える。中庭や前庭で男女が刻苦して働いて居る。種々の色の豆等を莚の上に廣ろげて干して居るのもある。淺黄の木綿を織つて居るのもある。光澤のある黄色の絹糸を繰つて居るものもあつた。
二週間許早かつた颶風が東海道は松並木を吹荒した。ジンリキシヤが優に通らるゝ道に松の大木は倒れて居るのを、通り道丈鋸で引切つてあつたが猶ほ枝の折が澤山引掛つて居るので、それを下に押付けられぬ位であつた。松並木は最近發明の軍川電線を路傍に引いて居る白衣の技術隊の作業を悲しげに妨げて居る。過去數世紀に渡って、營業とし生活して居った、かの松魚を滿載して朝仕事から歸る漁夫や、簡單な昔の道具で田畑を耕して居る百姓等の其子孫とは變り方が如何にも激しい(つゞく)