青梅講習會所感(承前)

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宮澤汀煙
『みづゑ』第十八
明治39年11月3日

 一日の勞を終へて皆一堂に集ると、時々茶話會が催される、イツモ藤田幹事が惠比壽樣然たる愛嬌タツプリの顔で開會の辭を述べると、先生方の御話がある、後は各自奇抜なる事故を話し合ふては打興ず終始嬉々として夜の更るをも知らぬのである。斯くて廿一日は實に夢の間に過ぎ去つた、各員競爭的研磨の功は歴然として皆紙上に溢れた、最終第廿五日には講習員一同作品展覽會を開き、是れに對しては先生の有益なる講話あり、皆今日を限りと熱心に拝聽した。開會第一の日と今最終日との差果して幾何あるか幾多不明の點も瞭らかになり技術も叉大に上達した、アーこれ皆先生の懇篤なる指導によるものと深く感謝する所である。
 

第二十八回一等初秋

 さて、其日午后六時、先生は茲に大なる業を終へさせられ東都に歸らるゝに付、余等は靑梅ステーシヨンに見送りした、大下先生は例の長大なる體をば出來得る限り小さく屈せられ、世界に於て最小なるシヤッキン鐵道に乘り込れた、先生が車内で若しも直立の姿勢を取らるゝならば其結果や如何、室の天蓋は頭上の笠と變化の奇觀を呈したであろう。サテモサテモ小さな可愛らしい鐵道であるわい、暫くして先生サヨナラ御大事になどの聲を相圖に車輪は動き始めた、相も變らずシヤギンシヤギンと奇響を發しつゝ。先生を送りし余等は實に形容の出來難き寂蓼を感じたが、幸其夜靑梅の傍畫家凡水寛水の兩先生來訪せられ、大いに無聊を散じた。且つ余は例の奇抜、ヱンド奇怪、エンド駄辨を吐き出し、大々的愉快を振り蒔へた積りだつたがドーか終りに及んで靑梅の地に付き一寸云つ4、見ると、成程風景などは實際よくて、畫家の三脚を引くには至極適當の所である。が凡ての設備が甚だ不完全で、第一に立川驛よりの交通機關をモー少し改良して乘客に不快の感を與へぬ樣にし、旅舍なども座敷や食物に充分な注意は勿論金の無いのは殆ど當り前の美術家等より、茶料など心配無き樣なさなくてはいかぬ、
 又坂上旅舍の便所の不潔で一種奇怪なる惡臭あるには皆々殆ど閉口仕つた、余はイツモ其便所の一番近傍の室に逐ひ込まれイヤハヤ是れには鼻はだ參いつた次第これ等は早く改良の點だろうと思ふ、未だ書けば澤山あるが、此所らで御免蒙るとする。

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