寄書 樹木の寫生
草水生
『みづゑ』第十八
明治39年11月3日
先頃ある川ばたの崖の上の緑の樹の間から出てゐる農家を寫生しやうとして、げつそり力が脱ける位失敗した、家は兎も角として、木の葉のこんもりと繁つた具合がどうもうまく行かぬ、これは樹や草など個々の研究をやらぬからだ、と考へた、
今朝はまた例の河畔に出かけた目的は向岸の槻の木である、暑い七月の日の光は斜に後から射るので、日向と影とは至極明瞭して崕の下を流れてゐる川の水を染めてゐる、そして葉の所々からは晴々した空が透いて見え、前方は半分頃までしか葉が垂れてをらぬ、なんだか庇でもかけたやうで暗い蔭の中から數本に分れた堅さうな幹が仄かに見える、ここから右に二間許離れて古い茅屋の頭が出てる、―全體の調子が滴るばかり強くて、知らず知ちず壯快の感がむらむらと起る、まづ空から始めて一通り塗る、それが干るまで川畔の散歩、此方岸のさざら波に山目の躍るのを見ながら無矢見に唱歌を唸り、出鱈目をやつては獨りで高笑しながらまた影をつける、また干す、またぬる、幹をかく、他の色に比較して調色する、まづこれで一通は濟んだが、右から見ても左から見てもどうも面白くない、極く弱い調子で丁度病氣?畫に病氣とは少し可笑しいが、僕のは全くそれにかかつた、ののやうだ、また、塗つたがどうも頷かれぬ、あゝ、此の時の予の落膽はどれ位であつたらう、暫は、川となく、岸となく茫然と見つめた、「あゝ不快だ」と投げ出すやうに云ったが仕樣がある筈もないから、こんどは自暴半分に、「ナニ糞?」と眩やきながら大膽に蔭をつけ始める、日向に強い彩色する、ホワイトを混ぜて幹をやる、まづいいと急いで筆を持つたまま、距れて見た、「ああ、いい!」予は思はず叫んだ、そして突然畫を捧げてそこら近邊を歩いて見た、
畫としては、硬い採り處もないこのスケツチ、然し予はこれを得て更に新しい希望に滿ち、進むべき勇氣を起した。