寄書 畫に志せし動機
金羽生
『みづゑ』第十八
明治39年11月3日
水彩畫揮毫求めに應ず。と神戸再度道の或家に掛けてある看板を見て、水彩畫とは何の樣な繪かと、不審を起したのは、明治三十五年丁度私が十五歳の時でした。
其後播州垂水の旅宿で、靑年界といふ雜誌の口繪に、三宅先生の朝といふ題の圖が出てゐたのを見たのが、抑も私が水彩畫に趣味をもつた初めでした。
昨年新聞紙上で『みづゑ』といふのがあるを知つて、買求めたのがその第七である。
初めは見るのを樂みとしてゐたのが、遂に自ら畫かうといふ謀叛を起した、その動機といふのは、一日友人大村翠崖と共に、湊川の畔を逍遙した時である。蓊欝たる老松の緑滴るが如き、攝播の連山摸糊として霞みたる、脚下の水はよどみて靜に流るゝ樣など、この雨後の景は痛く二人の心を動かしました。
爾來二人は鉛筆畫の初歩より練習をしてゐます。ここ數年後には稍繪らしい繪が畫けやうかと、それを樂みにやつてゐます。