偶言
さゝがに
『みづゑ』第十九 P.16
明治39年12月3日
▽細かいものや近いもの計りを見てゐると近眼になるといふ、それで、射的などは遠くを見るから近眼を防ぐによく、眼の養生には遠くや廣い處を見る必要があるとの事だ。
▽射的もよいであらう、眺望も必要であらう、併し樂みながら眼を養ふてゆくに、寫生といふ極めてよいものがある。
▽戸外寫生は、單に近視を避るばかりでなく、各種の調和した形や色彩を見るから、眼を完然に發達させる上からも最もよい手段である。
▽花を愛するものに惡人なしといふ、繪を愛するものにも惡人はない。
▽繪を描く事の出來ぬ人は世間に澤山ある、繪を樂しむ暇のない人、繪に近づく機會のない人、繪を求むるに金のない人、又は其金を出すを惜む人は澤山ある。
▽乍併繪の嫌いな人は、古今東西文明未開の別なく、恐らく一人もあるまい。
▽繪を見るを樂しむものは、二三才の小兒から白髪の老人迄、男でも女でも變りはない。
▽假りに『私はあまり趣味を持ちません』といふ人でも、子供の時には草艸紙を讀んだに違いない、武者繪を欲しがつたに相違ない、字凧より繪凧を好み、お祭りに振廻す萬燈に、辮慶牛若の彩色を望んだのに相違ない。
▽たゞこれ等の人は、成長するに從つて趣味が變つたのである否墮落したのである、其證據にはこのやうな人、即ち多くは拝金者流でも、老年になると書畫等をヒネクリ廻すのでわかる。
▽繪の入つて居ない雜誌は賣れない、新聞迄色刷で澤山繪が入る、出版物も口繪で賣行が違ふ、廣告も繪がなければ人が注意しない。
▽自分で繪を描くとは出來ない迄も、せめては繪を見て樂しむ人になつて欲しい。