寄書 繪畫の利益

朗生
『みづゑ』第十九 P.19
明治39年12月3日

 繪畫の利益如何とは、一大問題で到底愚なる僕の喋々たる論を差し入るゝ餘地がないが、おこがましいとは知りながら感ずるまゝに述ぶれば第一が修養上の利益だ。
 一髄僕等の國の如き山又山の村落ばかりでは都會のやうに、一般社會に對する諸般の煩事交際等を學ぶ機會に乏しい。
 然ながら昔よりの英雄は多く山間僻地より、出で居る事は僕の言をまたずして諸君の知ちるゝ通りだ。そは外界の人々の教化がよいわけでない又學校等の教育の都會にまさつて居る譯もないのだ。然るに人煙もまれなはかない田舎から英雄の多く出づるのは何故であらうか僕は之は自然の万物が此の人物に英雄となるに足るだけの教訓を與へたものと信ずる。海の万里茫々たるを見ては、其の度量の偉大なるに感化せられ、巖の嚴として打よす波にくだけもしない樣は剛毅屈せざる教を輿へるのだ。世は寂として、さわがしからぬ秋の月住なれし鎭守の晩鴉は沈默を教へ或は悲哀を教へ万事皆吾人の教育者なり
 さるが故に、田含漢は遂に絶大の英雄となつたのである
 然して都會は紅塵万丈人事輕薄にして田舎は幽遠閑雅なり、都會は似非風流にして田舎は自然に閑雅なる神の手に眠れり。故に大人物はたまに一世を獨歩するのだ。而して此は自然の神の手に養れたのだ。
 故に僕は修養の容易なる方法は自然を愛する事によりて得らるゝ事と思ふ。
 高尚なる精神を養ふには、繪畫を第一とする其は繪畫は自然の化身なるが故に。
 然ながら僕は世の人を皆畫家となれと言ふのではない、只其にょりて得たる修養の節々を諸君の理想の上に發揮せられん事を希ふのみである。暇あらば諸氏よ畫の友となれ、自然は諸君をして必ず善良の人とするだらう。
 必ず自然を愛せよ、再言ふて筆を置く。
 空は青空見る見る内に白き雲が山の上に出た段々きれて上の方に飛んで行く後のは先を追ふて。
 庭の黄ばんだ白楊の葉が吹く風にちらちら飛びあはれに落ち行きた。
 寸時もゆるかせにせず活動せよ、活動の裏には落葉の衰亡あるを忘れずに。いざさらば!!!

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