水彩畫を學ぶの順序[四](青梅講習會に於ける講和の大要)

丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ

丸山晩霞
『みづゑ』第二十一 P.6-9
明治40年2月3日

△第五の光澤ありて白く光る緑、これは發色に困難である。白く殘すと花の樣に見えるし、塗り潰しては光れる感じが不充分である。ホワイトを用ゐると重くなる。種々工風した上、最初にインヂゴー、其他の濃い色で描き、その一番光つた處を、其形に水をつけて暫時置きて後に、布地又は紙で磨り取るので、此方法を巧にすると、青味を帯びた白色が残つて甚だ面白い感じが出る。
△次は樹木の描法てあるが、言葉や文字では説明するに困離である、要は惣て寫生する前に、其形や濃淡の調子及び色彩等を充分研究して夫から筆を執るがよい、
△心に成算なくして筆を取つても決して立派なものは出來ぬ。それ故亭平素部分々々の研究迄も充分にして置て、いよいよ眞の寫生なり眞の繪を描く時には、尤も大膽に落筆して仕上ねばならぬ。
△樹木の寫生をする時、初めに葉も幹も同一色で手早く描いて、後に幹の部分だけ其葉と反對の色を塗つて仕上る場合がある。時間を節する上に於てよき手段である。
△大きな形、大きな調子、大きな色を見て、極大躰の寫生を試むるのはよい事である。
△研究の寫生と繪畫とは違ふ。研究には微細な仕事もある、科學的研究も尤も必要である。出來上つた繪といふのは別である。
△草の描法も中々困難なものである。草は上部が明るく根元の方が段々暗くなる、又形は扇のやうに開いてゐるものであるから、草叢など其心組で寫すのである。この心組で描けば、圓味と奥行のある繪が出來る。
△柳暗花明といふ語がある。これは至極面白い語である、自然界の色をよく説明してゐる。
△花は地の摸樣をなしてゐる。美しい色の花を澤山集めて描くと頗る有益な研究が出來る。
△森の中にある花などを描くに、ホワイトを用ゐてもよいが、何となく花の活々した艶がない、この場合には面倒でも紙の地を殘す方が安全である。
△ホワイトを使用する場合は高照に限る。同じ場合に小刀で削り取るのもよく、又紙や布地で拭ひ取るのもよい。
△樹木の間に空の透けて見ゆるには、往々ホワイトを使用する。又草や樹木の強き光部にホワイトを他の顔料に混じて盛上るとよい感じをなす場合がある。
△夢中になつて自然と首引をして寫生しても、必ずしもよいものが出來ぬ。寫生中は時々休養が必要である。暫時休んで再び筆を執ると、新しい色も見えて來て、自然の眞を捕える事が出來る。
△再び緑の研究に戻つて、少しく中景の緑につき説明しやう。これは此夏自己の研究によつて得たる結果である。
△中景の緑にて自分の見たのは、第一藍勝の濃緑色、第二光澤なき黄勝の緑、第三少量の紫を帯びたる濃き鼠色、第四紫を帯びたる白緑。
△第一は大きな部分を占めてゐる、第二は雜艸のある原、第三は第一の蔭色及雲の蔭の色及曇天に現はるゝ色、第四は第一第三の色の強き光る部分なり」
△中景の色は水蒸氣の爲めにホワイトを混ぜた樣な色に見ゆるものであるが寫生の時はなるべくホワイトを混ぜずに描いた方がよい、混ぜてもわるいといふのではない。
△第一の色はインヂゴーの中ヘレモン又はネプルスエロー及少量の紅、第二にはレモンエローに子プルスエロー及少量のインヂゴー、第三は第一の色にパープルレーキを混ぜる、カーマインでもよい。第四にはコバルトにレモンエロー、この中ヘパープルレーキを入れるとよい色になる。この色で大きな濃淡をかく、それが乾いて其上ヘコバルトの代用ニユープルー、スカイブルー等の不透明のブルーを淡く溶きて全體へかけ、更に乾かして後淡き黄を二三回かける、その色で藍勝になる上へ紅(カーマイン、クリムソンレーキ、ローズマダー、ピンクマダーの如き)を淡くして二三度かけると、紫がゝつた沈着な色になる、そして洗つたやうに面白い感じが出る、その中へ變化を描いてゆくのである。
△遠景の緑(あまり遠くては緑色は見えぬ)是は單純なり、前の緑の調色に於けるインヂゴーとコバルトとを代える迄なり。
△是にて夏の緑の描法及自己の研究の話は濟んだが、夫に對する空は重大の關係がある、乍併空については自分は未だ充分の研究は出來てゐぬ、これは實に六ッヶ敷もので科學的研究も必要であるが、兎に角大に研究すべきものである。
△英國のターナーはコンステーブルと共に有名な大家であつて、屡々醉はされるやうな繪を見る。コンステーブルは樹木の研究にターナーは雲の研究に大に力を盡したものであるが、是等の大家の作も、修養時代のものは精細眼を驚かす斗りのものであつて、晩年には非常に奔放の繪が出來た。
△前にも言ふ通り、雲に就て自分は充分の研究をしてない、併し僅に知れる點丈けはお話する事が出來る。
△雲の形や色、それは風土氣候によつて相違がある、平原の雲、海上の雲等夫々違ふ、高山のある處も違ふ、地上の色が四季によつて變ずる如く、天色も雲の形も變ずる。
△春の空は、水蒸氣のために地平線近くには紫がゝつた色を含んでゐる、其頃出たのは綿雲で、綿をボカした樣に朝夕共に淡く出るのである。夏は巖の如く鬼面の如く面白き形の雲が出る、平地に見られぬ現象である。形は圓くなつて集まつてゐる、稀には綿の如きもので近い雲もある。秋は春よりも空の色澄明に美しい、雲は朝夕に面白く、冬は其綿のやうな雲が角度を持つて固まる凍雲といふのである。下部が鼠色で、これは春迄も時々見る事がある。
△以上は自分の郷里、平原を前にしたる高き山に圍まれた地に於ての觀察である。猶雲は高山の上などでは、大概同一の形が出てゐるもので、其形や色に變化が生ずる時は何か天變地異があるものであるとの事である。
△其他講話の材料は猶盡きざれど、日限も逼りし爲め以上を以て一先終結とする。(完)

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