寄書 東京美術學生々活

紫舟生
『みづゑ』第二十一 P.19
明治40年2月3日

 現今東京に於ける美術學生(但し洋畫のみに就て云ふ)の遊學費は幾何を要するか、僕は不日笈を負ふて東京に學ばんとする地方諸君の爲めに、いさゝか自己の経驗によつて、この問題を御紹介しやうと思ふ、併し僕は私立研究所に碌々として研究しつゝある一貧生である、贅澤生活は話しに丈承知して、實瞼して見たことは一度もない、一體この問題は殆んど程度がない、富豪の坊ちやんで道樂に美術家にでもならふと云ふ連中は、一ケ月三十圓でも五十圓でも費つてるのもある、官立の美術學校にはそんなのが大分あるよふだ、美術學校では遊學費が最儉約貮拾圓はかゝると云つてる、マアそんなポツポの温い御方には學資なぞ知る必要もなかろふ、僕は只眞面目に私立の研究所に入り、出來る丈節約苦學して、自分の大目的を貫かうと言ふ諸君の爲めに只普通以下の生活に就てのみ述べる積りである、組しいくら節約節約と云つた處で彼の新聞賣子的苦學生のよふに寒中に單衣一枚で、青菜のよふな顔をして、ぶるぶる遣つてるのは感心しない、健康を壊してまで遣るのは決して賞すべきことではない、事の本末を誤まつたものだ、故に僕は健康を害せず、勉學に差支へなき範圍に於て、御話するものと御承知を願います。
 説明の便宜上、先づ四種類に分ち順序を追ふて述へることにしましやふ
 第一普通下宿生活、第二下等下宿生活、第三素人下宿生活、第四自炊生活、△第一普通下宿生活
 これが遊學生中で最も普遍的なものであろふ、程度は其名の如く普通で、決して餘裕のある生活ではない、併し一寸閑静で清潔な下宿屋の四疊半位を占領し、友人が來れば時々茶菓の一杯も出し、心静かに勉強することが出來る、一ケ月間に於ける大略の經費如左。
 一、六圓五十錢(食費)一、貮圓三疊及び四疊半の室料)一、三圓(授業料其他研究に要する材料費)一、、一圓五拾錢(湘炭湯錢理髪洗濯其他雜費)計拾五圓也△第二下等下宿生活
 これは最早普通以下の生活である、場所も室も食事も悪く確に安い丈の價はあるが忍耐すれば健康も保ち勉學にも充分である、只來客があつても五回に一回焼芋の御馳走、ランプも三分を二分心で仕まふと云ふ具合、坊ちやん生活に馴れた人に取つては大に大に殺風景な感じもする。
 一、六圓(食費)一、壹圓(三疊室代)一、貮圓五十錢、研究費)一、壹圓五十錢(油炭其他雜費)計拾壹圓也
△第三素人下宿生活
△これは下宿屋營業にして居ない家、例へば小官吏商店其他の家が、二階や茶の間なぞ不用な室を仕切つて供すのを云ふ、或は單に室丈貸すのと、序手に食事も其家で遣つて呉れるのと二種がある、前者は自炊の項に述へることゝし、こゝには重に後者に就てのみ言ふ、扨素人下宿の経費は如何と云ふに、室代食費等は下宿屋と比較して決して、大差はない、但し油炭其他種々なる雜費の上に於て、下宿屋よりも経濟的である、例へば下宿屋ては費消の如何に拘らず、毎月油代として三十錢づゝ捲き上げる、それをこつちでは自分で好きな程求めればよい、其他下宿屋では菓子代の上前を刎ねたり、樣々な手品をするが素人の家では大抵其憂いがない、但し素人家では其宿に良否の差あること下宿屋よりも酷い、運がよければ極く良家庭て、只小人數で寂しいから人に居て貰ふなんど云ふ主意で下宿させて呉れるのがある、こんなのに出ッ喰わしたら殆んど自分の家に居るのも同然である、其親切で實意な待遇、恐らく遊學生活中最も理想的なものであろふ、處が人情紙より薄い現金主義のこの世の中だ、かゝる萬緑叢中紅一點はこの廣い東京の中に數へる程しかない、それを見付けるのは僥倖に待つより外無いのである、又一歩を誤れば下宿屋より尚數等貧慾な酷い家に宿り合つて散々な目に逢ふことがある、而かも素人下宿生活には多くこの危瞼が伴なふから油斷ならぬ、誰れでも單純で現金主義な下宿生活に飽きて來ると、美しい家庭的生活が戀しくなる、そこで「かし間あり」と貼札した素人家を探して移る、處が仲々そふ甘くは行かぬ、美ん事失敗して再び下宿に復活するのも多い、一體下宿屋は近來信川上の競争より、大分内容も改良したから、比較的危險は少ない、素人の家にはそのことが無いから危いのだ、兎に角この生活法は撰擇に充分の注意を拂わねば多くは失敗に陷るものである、経費は下宿と大差ないから省略する。
△第四自炊生活
 これも贅澤すれば限り無しだが、先づこの方法が一番経濟的で且うまく遣れば衛生的である、が仲々以て成効せぬものだ、僕も折角道具なぞ買い揃へて置いて僅々一週間の後に冑を脱いだ一人である、小さい時から炊事に馴れた人にはそふ難事でもなからう、併しその御經驗のない人には仲々骨の折れるものだ、この生活法に至つては確に婦人諸君に一歩を譲る、姉や妹と一よに遊學してる人は必ず自炊生活をすべきである扨て其方法は如何、先づ前項に述へた素人屋の間丈貸して呉れる處を探す、便利上二階よりも下、下よりも奥座敷で裏の木戸から出入の出來る處がよい、室が定まつたら道具を揃へ食品を求めて取りかゝるのだ、道具なぞは成るべく古道具屋で求めるが宜しい、が熟練せぬ内は尚更のこと、たとへ熟練してからでも、一回の食事の用意から後の整理までに、どうしても一時間以上を費さねばならぬ、この時間が中々惜しいものだ、それから井戸端に出て隣りの女房や向ふの娘と一所に、米を研いだり皿を洗つたり、これが何だかうるさいやら恥しいやら、先づ面の皮を千枚張りにしてかゝる必要がある、而して經濟上より言ふも其他の便宜上より云ふも極く、腹の合つた友人と二人位で、交代に遣つて行く方が得策である、この共仝生活は下宿生活でも素人屋生活でも一般に有効なものである、第一室料が半減する、ランプが一ツで宜い、一人で居るとツイ退屈になツて大福餅でも頬張りたくなるのを妨ぐ其利益は枚擧するに隙あらずだ、但しあまり人數が多くなると屹度失敗するからそれは二三人までが一番良い、兎に角この自炊生活は意志が充分鞏固で、根氣が餘程強くなければ仲々永續しないものだ、自炊生活に志す諸君は、宜しく緊褌一番大に勇氣を鼓舞してかゝり玉へ。
 少し倦怠を生ずるとモウ御仕舞ひだ、あらゆる悪魔は猶豫なく押し寄せて來る何分少し頭痛でもする日には、今更煙い顔をして竈の下をパタパタ遣るのが悲しくなる、そこでツイ筋向ふのパン屋に走ッて、食パン半斤をムシャムシャ遣ッて腹の虫を納得させる、又或時は佃煮や福神漬や鹽魚と云ふ風に手のかゝらぬものゝみで仕まい度なる、それが度重なる、サー甘いものが喰い度くて堪らなくなるそこで遂にさしみや牛肉などを大に喰ふ、金は要る腹は損なふ、二罪倶發だ、そふなると最早秩序が亂れて、如何しても仕末におへなくなる、終に失敗の恨を呑んて折角買ッた道具一切は二束三文で道具屋に彿い下げ、悄然として下宿屋の門をくゞるに至る、僕なんぞその一週間の生活中に散々な奇談を殘した、話せば浪六の當世五人男も跣足だが冗長に渉るから止さう、左に最初一ヶ月間に要する経費の大略を示さう
 一、壹圓(最簡單道具費)一、三十錢(醤油)一、拾八錢(味噌)一、拾錢(松魚節)一、六十錢(炭)一、貮圓八十錢(米代)一、壹圓五十錢(副食物)一、一圓(室代)一、貮圓(研究費)一、壹圓三十二錢(雜費)計十圓八十錢也
 それで次の月からは道具費が加わらぬから都合九圓八十錢で遺れる譯だ、但しこれは凡てに極度の儉約を試みた結果だ、併しこれで遣ッて行けることは保證する。
 この他七八人の仝志が集り、少し廣い家を一軒借り、下女を置いて炊事させる共同生活法もあるか、多く失敗に歸するから略する。
△宿所の撰擇
 これは生活上最も重要な事で充分に説明したいが、あまり多く頁を費すに忍びないから茲には只簡單に述べて置く、美術學生の擇べぶき地理上の位置は何處が良いか、先づ少々便利は惡くとも第一に高燥閑佳なる而かも郊外寫生に行くのに時間を要せぬ處が良い、即ち小石川、本郷、下谷、牛込等の郡部に近い高台が適當である、それから家庭上の撰擇では、拾歳以下の小兒、支那留學生、不得要領の庇髪等の居る家は全然避ける樣にせねばならぬ、小兒は騒しく、清國人は不潔にして騒しく、怪しい庇髪は危險なからである、尚終りに一寸注意して置く事がある。それはたとへ運賃が幾何かゝツても、夜具や蚊帳や其他從前用ひ來ッた日用品は、一切之を持ち來るべしと云ふ事である、(了)

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