「アルフレッド、イースト」氏の寫生談

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第二十二
明治40年3月3日

 「イースト」氏の寫生談と云つた處で僕が直接聞いたのでは無いので、此頃「スチユヂヲ」を見たらば有つたので、ソーその飜譯ものです、ではあるが、穴勝ち僕が種切れの爲めに飜譯もので、と云ふような形は耗頭ないのであります、つまり、近頃「パーソンス」氏の日本旅行記が本誌に出たが、此「イースト」氏も前に日本へ漫遊して、慥か東京で其「スケツチ」の展覽會をされたように覺へてゐますが、黑人筋の評では、一體「イースト」と云ふ人は腕も「パー」よりはずつと上で、温厚の君子、則ちいゝすとだそうです、然るに「パー」の方ばかりを本誌で紹介しては少々片手落の氣味であるから、遂手に「イー」にも一寸顔を立てゝやつて呉れろと、誰も頼んだのでは無いのですよ、まあ冗談は好加減にして、本文に取掛りませう、
○僕は思ふに何が面白いと云つて、スケツチ程面白いものは畫家に取つては無かろう、郊外に出れば第一健康に宜いのみならず、自然に接して想像以外に之れを觀察することも出來る、面白い景色は之れを後日の記念に留置くことも出來る、如何程自分が面白く感じたかを人に示すことも出來る、人も亦之れを見て面白いと思へば自然に對する趣味を發達させることも出來ると云ふものです、自然は常に變ることなく、「コンステーブル」や「ターナー」の時も、果又た「シエークスピーヤ」、「ミルトン」の時も今も同じであります、同じではあるが、往古の畫家文學家が悉く自然を説盡したりと云ふに中々以てそうで無い、物は之れを觀察する方面に依り幾通りにも違ふ、君は君でどう自然を觀察ずるかを示す可きである、「ウオルズウオルス」の言に、「自然は之れを愛するものゝ心を毫も僞らず」と有ります、それでスケツチと云ふものは、つまり自然を愛することを教ゆるものです、又た自然を愛するの心が無くば、寫生家となれぬのです、僕は隨分方々の國で寫生もし、其國々の寫生家にも接し、又た多くの畫家にも交際しましたが、誰も皆此精神であると思ひました、遠い日本で、驚く斗立派な日光で寫生ををしたことがあります、日本の諺に日光を見ぬ者は結搆と云ふなと有る位綺麗な處です、此地で二人の日本畫家に紹介されました、紹介してくれた人は、先年日本から西洋美術取調べとして派遣された中の一人でしたが、其時三人で同し處を寫生し、出來上つた時、向ふが僕の畫を見せてくれと云ふので、ドーカ御覽なさいまた貴方のも見せてくださいと、此處で三枚の畫を並べました、三枚とも自然の通りに出來て居ましたが、併し日本畫家のは習慣上から裝飾的志想で以て畫き、僕は無意識に歐洲的志想でかきました、
 寫生にはどう現はれて居ようとも、それは自然が毫も關せぬので、責任の係る處は一に寫生家にあるのだから、それは覺悟すべきで、一言の辮解も許さぬのです、自然は「ターナー」に見せたる數多の美を、同じく君にも見せて居る(君がそれを見ることさへ出來れば)、それであるから、如何したらば自然の美を見ろことが出來ようか、其方法を發見することゝ、又それを描出する方法を知るは大切なることです、先づ第一は、已に自在畫遠近法等の初歩を知る者とすれば、如何に自然を觀察するかである、其次は勇氣です、勇氣が無くば其寫生は憶病な平凡なものとなる、何んでも、世界は我物だと云ふ持主の考へで、堂々として自然に向はなければいかぬ、若し君のスケツチが失敗に終つたならば、それは大々的失敗ならしめるがよい、美術に於ては小さい失敗など云ふケチなことは無い寫生に際しては、念頭唯自然あるのみ、憶せず之れを畫き又た自己の畫法でかく、中には人の畫法を眞似るとか人のかいた畫を眞似るとかする者もあるが、あれは失敗の基ですから止すのです、自然其物で已に充分である、先年の事でしたが、一人の靑年が僕の處へ來て、大に弱つたと云ふから、何んで弱つたかと聞いたらば、どんな流儀にしたら好いか分らぬ、微風ある朝の景色には「コンステブル」を思出して「コンステブル」流に畫こうとし、朝霧の景には「コロー」を考出して「コロー」風にかこうとするので迷つて困ると云ふのでした、それで僕は其靑年を戒めて、决して流儀なぞを氣にしてはいかぬ、自分は自分の思つた通りを鞏固に自信を以て現はすように稽古したまへ、其内には自分の流儀が出來てくる、つまりコワゴワやつて居るのが失敗を來たすのであると云ひ聞かせた事であります
(以下次號)
 

石川欽一郎筆

 アルフレツド、イースト氏は英國の人にして倫敦に住し風景畫家として現時世界第一流の地歩を占む其作品の模寫は他日石版として紙上に現はすべし(編者)

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