寄書 交換に就て

しくむ
『みづゑ』第二十二
明治40年3月3日

▲僕と繪ハカキを交換して居る人の中で、僕が『まじめな寫生畫を送り玉へ』と言つてやつたら、粗雜な繪ハカキに添て曰く『娯樂にやって居るのに候らへば眞面目なる作など到底生等に及ぶべくもあらず之にて御免蒙り申候』
 雜なるものよりは佳なるものにはより多き趣昧の含まれあるは人の皆知る所。
 樂しみにやつて居ると云ふ人の目的は佳なる繪を交換して大なる趣味を收め得れば足るだろうに「娯樂にやつて居るのだから眞面日な作は出來ない」と云ふのでは、此人は粗雜な無趣味なものを見て娯樂だなんて得意がつて居るらしい。
▲繪ハガキは僅か一錢五厘の切手さへ貼れば郵便屋が持つて行つてくれるし、又アルバムと云ふはハガキを挿むべく特別に出來て居るブツク等がある爲めに流行を來たしたのであろう、繪を描けない人は別として繪を學ふど云ふ人はワツトマン十六切大位の研究的の作畫を交換してはどうか。
 繪ハカキは隨分雜なものでも一寸見は好いものであるが、十六切位の大さになると少し惡い所があつても見られたものでないからイヤでもに叮嚀に描く樣になる。
 他人の作畫を多く見るのは研究上大に有益だと先生方は皆言つて居らるゝではないか。郵税は繪畫なら一尺三寸以内三十匁迄開き封て送れば二錢でよい。
 繪ハカキ競技會中止の今日此方に全力を盡されては如何!

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