版のなぐさみ 白堊版

山本鼎ヤマモトカナエ(1882-1946) 作者一覧へ

山本鼎
『みづゑ』第二十三
明治40年4月3日

 或日新聞社の編輯局を訪れてみると。今日横濱から西洋人が來て白堊版(材料の)といふものゝ見本を置いて行つたから君一つ試して見ないかといふ。白堊版とは初めて聞く名稱どんなものであるかとやがて取り出されたのを見ると、面積十五坪(一坪は一寸四方)厚さ七厘ばかりの鋼鐵板の上に、純白な白堊が一分程の厚みに布き展べられてあるもの、それに添えて四五本の彫刻針がある。針の尖は異つて居て、或は錐の様な、或は螺まわしの様な、或は又肉又の様な齒がつけてある、殊に一本の針には空氣を壓出するための護謨球が附いて居た。聽いて見ると此の白堊版といふものは、西洋の新聞紙にはかなり古くから用ひられて居るものだそうで、針の尖で畫いた畫が直ちに版になつてしまふといふ、輕便至極なものである。然し實際やつて見うと一寸面倒な所もある、といふのは、此彫刻せられたものが直ちに印刷せらるゝといふわけにはいかず、それをするには是非共凹版を凸版にしなければならない、それに白堊の面には繪畫のアウトラインをほんの當りに印しておく位なもので、それも彫りゆくうちに白堊と共に崩れ去るから下畫といふものも確かに作つておかねばならむ。僕の初めての經驗は雪中に土人が熊と闘ふの畫であつた。下畫を見ながら針を白堊に彫り込んでみると案外に脆い。氣が引けるやうに彫るに從つてぼろぼろと崩れ、針をぬくと其跡を埋めてしまふ。此時にはじあて肉叉の様な針と護謨球の効用を思ひ當つた、即ち畫の密な部分は止肉叉状の針で白堊を掻き退けて薄くし、彫刻針の尖へは彼の護謨管を附け、左手に球の空氣を壓出して崩れ來る白堊の粉を吹き拂ひながら彫刻してゆくので。かくすれば鐵板に密接した部分の柔靱性を帯びた白堊が鮮かに削れて、碧灰色の鋼の針尖に伴れて現れてくるのが明瞭と見えて來る。此場合は殆んどペン畫を作る時の心持とかわりがない、たゞ針の形に由て太細の線が意にまかせぬといふ事がある、然しこれは針の數さえ増せばなんの事はないのである。針は銀座三丁目の「近常」に多分ある、けれども疊針、若しくは時計の鉋をなをしたもので充分間に合ふ、そして針の種類も左の四本があれば凡その用には足りるのである。
 

 又護謨球は醫家の用ふるスレンジで事足りやう。只困る事は白堊の板である、これは横濱の商館から取りよせねばならない、若し諸君のうちに需めらるゝ方があるなれば僕が買ひ出しの勞をとつてもよろしい。僕の試作は三十分ばかりで出來たが、これを印刷するが爲には彫刻されたV形の溝に溶解した鉛を注ぎ込んで、A形なステロー版にした。此版に取るについては、白堊に含んでおる水分を充分に乾燥してかゝらねば原版復版共に目茶々々なものになつてしまふ。此ステロー版も素人に出來ん事ではないけれども格別技術上に興味もなく、道具だても少々面倒であるから專門家に依頼する方がよい。專門家は市中所々にあるが、數寄屋橋外の「製文堂」などには熟練した技術家が居るといふ事だ。要するに此白堊版といふものは線畫に限るものであつて、且つ凹版を凸版にするといふ手數があり、目下の處材料も極く輕便には得る事が出來ないのであるから、素人は甚だおつくうな事に思はれるであろう。而しながら四五本の針を以てぺン畫若しくは鉛筆畫の経瞼を直ちに應用し得るといふ性質が、既に素人のなぐさみとするに不適でない事を示して居る。若しも一歩進んで版畫の上に、針、白堊、鉛、等に由て成された一種の持性を味ひ、樂しみ得たならば蓋し幾多の不便ありとするも決して太儀ではないであろふ。しかも白堊版は凸版であるから石版の如く印刷に不便でない、僅かな道具を以て自から印刷を試み得るといふ樂しみが添ふて居る。凸版の印刷法は殆ど知らぬ人の方が少いであらう、けれども用意のため左に記す事とする。
 凸版の輕便なる印刷法
 勿論最輕便なのは手刷である。而して最精巧なのも又おそらくは手刷である。
 印刷に水繪の具で刷るものと油肉でするものと二種あるが、僕は前者に就ては知識が甚だ乏しいから控える事とする。油肉は活版用のインキよりも石版用のインキの方が光澤もあり。硬度も良く、白紙などへの印刷に好適である。肉はなるべく使用時に少しづゝ出す樣にし、常には入れ物の蓋を開けて置かぬやうにしたい。肉磐は石板或は硝子板が輕便である、之れもなるべくは箱に入れて埃のつかぬ樣に心掛ねばならむ、出來得べくむば使用の後必ずルーラと共に氣發油で洗つて居るとよいのである。それから肉磐に肉をのばす時はまづ金箆で充分寝練り、然るのちルーラを轉がす樣にするのが鮮明なる版畫を得やうとする第一の用意である。ルーラはリスリンとゼラチンで作つたものを最良とする。此の膠ルーラの良質なもので肉をつける時には、版面に埋れて居た肉をもきれいに吸ひとつてしまう程であるから如何なる細密な線をも滅する事がない。然し之れを作るには餘程の熟練と、多少の器械を要するから素人にはちとおつくうである。されば皮ルーラ、或は護謨のルーラを用ひるがよからら。然し皮ルーラもなを最廉なるものにて五拾錢を拂はねばならぬから、僕は寧ろ護謨ルーラの輕便なる所を撰んで諸君に勧める、護謨は醫者の用ひる聽診器の管を五寸ばかりも求めて來ればよい。そして圖の如く造る。若し又是れが面倒とならば一層簡單な方法もある。それは油肉と艾とをよく練り合して絹に包み、それを筒のやうなものに詰めて版畫をぼんぽんと叩いて肉をつけるのである。

 バレン之れは紙上から胡摺る道具であるが、やはり專門家の用ひるやうなものは高價なものであるから僕の用ひて居るものを御紹介致さう。まづ桐の薄板(玉子の折などでよし)を直徑二寸丸位にきり、一方の面の(摩擦せざる方の面)圓迢を一分通り位、圓迢に向つて坂下しに削り下げ、又一方の面には鈴虫に馳走する茄子の樣に十文字に刀を入れる。而してそれを竹の皮で包むのである。竹の皮は三分間ばかり水に浸したるのち、皮裏を貝の脊中見たやうなものでよく胡摺つておくのがいゝ。それから此バレンで印刷してなを黒々とつきかねるつぶしのやうな部分は箆を用ひる。之れは金箆。若しくは裁縫に使ふ箆。或は又爪の甲などでも差支へない。用紙は、素人の手刷には、白紙、或は畫箋紙が適當である。そして注意して砂のない紙を撰ばぬと版面を害する事がある。(白堊版了り)

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