寄書 開書

紅生
『みづゑ』第二十三 P.19
明治40年4月3日

 小生は太平洋畫會に對して常に同情を有するものに御座候、今春開かるべき東京府博覽會には、小生の常に敬愛する太平洋畫會諸君の作品を澤山拝見し得べく樂しみ居候、殊に小生の最も敬意を衷する春鳥會諸先生の水彩畫を拝見するを樂しむものに御座候、而して諸先生の上に名譽の榮冠の下らん事を冀ふものに御座候、然るに今日發表せられたる審査官なる人々の顔振を見るに、小生の記憶する處にては、太平洋畫會に属する人は一人、巴會一人、會に關係なき人二人にて、他の五人は皆白馬會に属する人々に有之候、審査は公平なるべきは元よりの事に存候へ共、これにては人選甚たしき不公平にして其結果も今より知り得べく、太平洋畫會のために大に危むに足る、美術家は嫉妬偏狭のもの多しときく、何とか方法其之ものに候哉、これに對する春鳥會諸先生の御所感如何。
  右はみづゑ紙上を汚すべき種類のものに無之候へ共、小生と同感の人も可有之存候間、何卒々々來月の紙上に御掲載の上御意見も御示し下されたく候。
 三月六日
 御同情を謝す。吾々の博覽會出品は趣味の普及が重で、名譽心の満足を得るためではありませんから、授賞の如きは成行に任すのであります、又心配になる程不公平の事もあるまいと信じてゐます。(春鳥會同人)

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