讀者の領分


『みづゑ』第二十三 P.22
明治40年4月3日

■海の繪を出して下さい、この間私が品川沖で寫生した軍艦を畫き直してゐたら友人は軍機の秘密を漏らす者だといひました(晩秀生)◎市中で賣てゐる軍艦の寫眞も軍機漏洩ですかね■僕今日の日課にてMOUNTの意義を教師に質し候處それは寫眞又は繪の臺紙なりと教へられ候故「みづゑ」てふ雜誌に「マツト」として書いてあるは如何と反問致し候處そは「マウント」の方正しきなりと教へられ候間一寸御參考迄に(本郷大川直助)◎御親切を謝すMOUNTは臺紙のことにて、MATは額縁の中にある繪の枠であるとのことです■自筆水彩繪葉書及ワツトマン十六切形水彩風景畫の交換を願ふ、但し何れも畫面に文字なきを望む(安房國北條町六軒町白井翠石)■本誌に石版で鉛筆畫木炭畫ペン畫等を順繰りに掲載して下さい(KO生)■『みづゑ』二十二は近來の上出來趣味多かりしは喜ばし(麻布永坂生)■僕『みづゑ』初號を有す肉筆繪葉書五枚以上封送先着に進呈す、後着は交換返送す(播磨國明石郡多聞村朽木快秀)■僕の友人が『みづゑ』第一(口繪ナシ)を三十錢なら賣るといふ、望の人は僕の處へ送金あれ(大坂東區東平野町五ノ一八五、福島晩翠)

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