弱虫

SM生
『みづゑ』第二十四
明治40年5月3日

 ある地方の中學卒業生、職を地方裁判所に得書記の役を拜命せり。後數日、管内に殺人犯あり、豫審判事に伴はれて兇行現場に出張す、死屍累々詳さに惨状を極む、判事新書記に命じて形状位置等を實寫せしむ、新書記在校當時圖畫を蔑視して、少しも勉強せざりしかば、因果は覿面如何に筆を下すべきやを知らず、さればとて職業抦其儘にもなりがたく、不得止曲りなりに圖取りを了れり。さて裁判所に歸り來れば、同僚待受居りて情况をきゝ、見取圖を開くに其線は慄へ形は亂れ殆ど圖を成さず、一生嘲つて曰く、『この新參書記初めての臨檢に死體を見て恐怖し、筆は紙にづかざりしならん、何等の醜態ぞ!、何等の懦夫ぞ!』と、新書記其畫學に拙なるを愬へて辮解大に勉めしも聽かれず、終に役所に於ては常に弱虫の尊稱を蒙るに至れり。茲に於て新書記大に憤慨し、更に初めより繪畫を學んで自由に實寫し得るの技兩を養ひ、彼等同輩を驚かし呉れんものをと、先の中學圖畫教師の下に走り、頻りに鉛筆畫の稽古を初めたりといふ。(實話)
 

小林誠之助筆

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