自由

湖畔子
『みづゑ』第二十四
明治40年5月3日

 僕が繪畫に趣味を持たのは二三年前であるが、墨繪に充分の研究なくして、たゞ彩色の美にあこがれて、水彩畫を學び初めたが、さて何んの得る所もなかつた。
 譬へば某礎の薄弱な中に建てられた家は、一時其工事が捗どりしにもせよ、多少の風雨に逢へば、忽ち傾斜潰裂の厄を免かれぬと云ふ事を知りつゝ、例令自分は晩學にせよ、藝術なるものは極めて眞面目なもので浮調子で試みるべき閑地なく、而かも吾人傍業者が、繪畫を學ぶ目的が實に精神修養に外ならぬ事を思へば、其愚や笑ふべきである。
 夫れで、自分に何事にも基礎と云ふ事に意を用ふると同時に、必らず何者かを其上に建設しなければ止ぬと云ふ精神を得たのである。

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