中擡枯星氏逝去報告


『みづゑ』第二十四
明治40年5月3日

 正會員中臺枯星氏は豫て病氣の由聞及び居りしが、今回終に永眠せられし由。本會は同氏の如き前途有望なる靑年を喪ひしを悲み、茲に謹で弔位を表す。猶氏令兄より本會主任によせられたる書面は左の如し
 粛啓嘗て先生が御薫陶に浴し居候家第枯星儀永々病氣の處昨二十日午後十時遂に死去仕候
 多年先生が御懇篤なる御芳情を蒙り、御書に接する毎に常に感位隨喜いたし、本年は是非共上京して拜姿を遂げ親しく謦咳に接するの榮を得ん志望を抱きつゝ、昨年初冬の頃より病中に呻吟する身と相成、せめては尊影なと頂載致し度申居候折抦「みづゑ」の上に尊容の掲載ありし時須更病苦を忘れて微笑を洩らし居候、如何なる宿緑に候やら、先生の事と申せば殆と寢食を忘るゝ迄に御高風を追慕致し居候、多少畫筆を握りて紙絹へ徐抹し得る樣に相成候も、全く先生御懇情に起因するものと本人も常に申居小生の如きも感謝罷在候次第、然るに拜眉の榮を得ず今回溘焉として黄泉に逝く、亡弟の遺憾察するに餘りあり候。みづゑ誌友未知の方々より澤山芳情に接し居候も物故せる今日一々芳名宿町等判明致さず候に付、先生より誌上に死去の事御掲載給はり度、申上兼候條件ながら骨肉の眞情御の取被下度奉懇願候。兼て先生より賜はりし繪はがきは、畢生の至寳として未期迄珍藏いたし居候下略)
 四月二十一日枯星の兄中臺藤吉

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