讀者の領分


『みづゑ』第二十四
明治40年5月3日

■田舍に居る身の水彩畫研究者には尤も有効で尤も樂しかつた繪葉書競技會は先般來より休會となり實に落膽仕候、是非御都合遊ばし在野黨の爲め從前通り御繼續下されたく候、在野同好の士奮つて御賛成を祈る(一紅)■一競技會がなくなつて紙上が淋しくなつた樣だから應募畫の大さを十六切(ワツトマン)位迄にされては如何。二水彩畫講習會を一度位東北地方で開催するも善さそうなものですがあまり無情ですなー(陸前一一生)◎一實行します御送り下さい。二熱心なる希望者が多くして收支が償へば何處でも開きます、講師の報酬などはなくてもよろしい■『みづゑ』二十三は大下先生が大奮發せられたので大成功、口繪の原色版は外國の美術品を見るの感あり鮮麗(赤坂虹生)■口繪はやはり石版にせられたし(下妻KT生)■『みづゑ』の口繪が原色版になつて嬉しいな、殊に今度の大下先生の繪はあんな圖はいくらも近處にころがつてあるのに僕等の描かないのを諷し且大なる教訓を與へて居る、猶挿繪として大下丸山兩先生筆の畫を寫眞版で毎號澤山に願ひたし(横濱YT生■『みづゑ』一二三號頃のやうに寫眞版として大下先生の作品を多く出されたし、吾等筆遣ひを見るに極めて便利多しKT)■文房堂で一寸立つてゐたらハイカラな靑年が來て繪具を見せて呉れといふので、店員が「ヘーどんなのに致しませう」「上等箱入を呉れ」「これは三圓ですが如何さま」「少し高いコレハいくら」「ソレは七十五錢で」「これがよろしい」ハイカラは大いに上等品を買ふたようであった(淺草小松)■大阪で開く水彩畫の講習會は一日も早く御發表を願ひます(熱望生)■心配のあまり蕪言を呈し候虜早連御答を得て安心致候、ある者は名のため、ある者は利の爲め、ある者は自己の伎兩を他人と比較し研究するために博覽會へ出品さるゝといふ、其思想に高下こそあれ何れも利己的であるが、春鳥會諸先生の、趣味の普及の爲めと言はれたには實に何共申樣のない感謝の念が起り申候(本郷紅生)■三宅先生の博覽會出品「森の下道」は千三百圓ときいてゐたが正札は百三十圓となつてゐた、(物好生)■一寸博覽會の水彩畫の賣價を紹介します、三宅氏森の下道全紙百卅圓、仝雲四ツ切七十圓、河合氏夏日ニッ切百圓、大下氏江流ニツ切百五十圓、中川氏月夜百圓、とりいれ百五十圓何れもニツ切、丸山氏麥燒く夕全紙二百五十圓、夏の光ニツ切百圓、織田氏樂器全紙二百圓、大橋氏牡丹、鶴ケ岡何れもニツ切で百園宛、石川氏滿洲の風景三枚の方が二百圓、二枚の方が百五十圓まづ此位いにして置ふ(PH)■『みづゑ』誌上に博覽會出品の水彩畫評を載せること、それから大下、丸山、大橋賭先生の出品畫を寫眞版(出來得べくは石版)で出されたく切望する(歸り途にてS生)■三宅先生の事を三宅博士の弟だと博覽會の看守が知つたふりで訊明してゐた、一條成美君は公爵の兄弟かも知れない(傍聽生)■石川欽一郎氏の繪はガラスが壊れてゐる、三宅の克己氏の繪は殆と縁との間に白く紙が見える何れも不體裁だ(麻布永坂生)■一『みづゑ』二十三の「丘の細道」は素敵に出來榮がよかつた靜かに目をつぶて見ると前景の道と枯木と、中景の森とが鮮かに浮んで來る實に十三の「夕雲」以來目の覺むる樣だつた二長野講習會の記事を讀んで實に羨しかつた我關西にもかゝる會の開かれんことを希望します三本誌の「二」の簡易寫生法を讀んで大くの利益を受けたるものは僕ばかりではあるまい何卒あのやうなのを益々掲載されんことを願ひます福岡、稻垣虹の橋)◎二此度大阪迄御出なさい

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