編者より


『みづゑ』第二十四
明治40年5月3日

◎横濱KT氏へ熱心家があらば月に一度位いは出張してもよろしい、先づ會員を集めて後具體的に本會へ交渉せられたし◎淺草小松生へ大きな繪を切取つた樣で位置が窮屈なり、調子も整つてゐない、先づ墨繪を充分稽古してそれから彩色にかゝられたし◎陸中海老名氏へいつも申す通、色彩あまりに強烈なり、和らかな調子の繪を示されたし。
  嘗て本誌誌友諸君より御懇篤なる御音信に接し居候處、昨年初冬の頃より病床に呻吟し今回遂に死去いたし、平素申居候素志を遂け得ず諸君には甚だ欠禮仕候、物故後、夫々御回答可申上筈なれども、何分にも御宿所等不明の爲め誌上の一隅を藉り茲に生前辱知の諸君に申譯旁御厚情奉謝候
(神戸市北長狭通壹丁目百十四
 枯星の兄中臺藤吉

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