色彩應用論[六]空気の遠近

榕村主人アコウムラシュジン 作者一覧へ

榕村主人
『みづゑ』第二十五 P.5-6
明治40年6月1日

 空氣の遠近に於ける色彩と、線の遠近に於ける形體とは同一の關係をもつて居るものである。線の遠近は輪廊や組立に限られて居るが、空氣の遠近の研究は畫面全體に渉ッて居るもので、大氣の種々な結果はいふまでもなく、陰陽もしくは色彩の對照等に最重要なるものである。此故に空氣が風景に及ぼす關係を仔細に研究して置く必要があるのである、純粋な大氣は全く無色透明であつて、遠方の物も明に見ゆるもので、山國に行くとこの現象が好く見られる。以太利あたりの空氣は水蒸氣が全く含まれて居ないので、遠方にある細微な物でも明に見えるが、北亞米利加の如きは空氣は非常に蒸發氣を含んで居るから帯熱の鼠色を呈して、遠方の物は全く色が變つて居る。
 山や遠景の調子の變化する原因は澤山ある。自然の一部分は或度までは一樣の色であるが、風景全體を通ずると光線の關係に依て一樣でなくなる。此故に岩石、土地、植物等の凹所等の關係から陰陽色彩等が不同となるのでこれを遠方から見ると、此種々な色が綜錯して一種の印象が出來るのである。
 空氣を描くには、その濃淡の度に依て、また色に依て、極めて薄い幕が幾枚も掛つて居るといふ心持でするので。だんだんに遠方に到るに隨て帯藍鼠色の單調な色となるのである。畫面の前景の色はその眞の力のあるものとしてあつて、光部は最も明で陰所も最も暗い。百ヤードの距りとなると、幕一枚掛つて居るとする、一哩で二枚、四哩で三枚、極遠方となつて四赦掛つて居るとなるのである。此四枚の幕といふ心持は室内に於ても應用が出來るのである。左方に遠山があつて、一方には前景の小家があるとして、其輪廓は同一である、右と左と異るといふのみであるが、空氣の遠近に依て、一つは見る人の眼前にあるが如く、他は數哩を隔てゝ居るやうに見へるのである。かゝる試驗を郊外で重ねると、緑や赤を常に眼前に見るが如くに描いては空氣を現はすことが出來ないといふ事に思當るやうになる。
 畫面に空氣の樣を現はすには、天空や遠方を塗ると同じ方法にして、帯藍の鼠色で上方左の方から塗り下して、徐々にマダースの色を加へて行く、前景の邊に到るとエローオーカーかバーントシーナ強ちの塗料を塗る。かゝる方法で二度三度と繰返して塗るのである。素より暖みと空氣の度に依て多少の手加減はあるべき筈である。人に依るとこのブリユーや鼠強ちの中和色を前景まで塗るものがあるが、これは餘り望ましい事でない。其故はといふと、明確な對照や純粋の色彩を前景に得ることが出來なくなるからであるそれのみならず、折角の天空や遠方の空氣のエフエクトをも打壊はす事となる。
 空氣の遠近を畫面に附するには、前景の樹木または岩石等と好く照合はして、その遠近の調子を見て描かねばならぬ、風雨に曝された家根の寂の色や岩石の蘚苔の色等も、その遠近の度に依て空氣を含ませて描かねばならない。もし最初の塗でも、後に描いても、空氣の遠近が可く表はすことが出來ないときには水を塗つて暗い部分を拭去るか、または水の含んだ筆で適度に擦るかして、畫面を模糊とさせる、また少量のチヤイニースホアイトを非常な注意を以て薄く塗ると、空氣と遠方を表はすことが出來る。若し暖みを欲しいとならば、其度に應じてライトレツド、エローオーカー、カドミユーム等を加味すれば可い。またクリムゾンレーキとコバルトで鼠を作つて薄く塗つて乾いた筆で擦つても表はすことが出來る。この方法で日光の赤味やオレンヂ色の調子を帯びた暖かみを遠方の部分に表はすことが出來る。
 同じ方法で烟等も好く表はすことか出來るのである。(空氣の部完)

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