美術館水彩畫所感

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第二十五 P.11-12
明治40年6月1日

 博覽會の美術館に入り水彩畫を見て、第一に感ずることは元來其趣味が日本的なることなり、油畫の方は未だ我物と爲すには前途遼遠なるが如きも水彩畫の方は餘程近づき來つたかの如く思はるゝことなり、日本畫にて企てんとして失敗しつゝある點を水彩畫にては割合に能く顯はしつゝあることなり、又た水彩畫ならば油畫の如く日本風の座敷の調和を害せずして装飾になると思ふことなり、水彩畫は油畫よりも一般の日本人に分りがよく其氣性に適したるが如く思はるゝことなり、最とも是等は獨り美術館の水彩畫には限らぬことなるが、美術館の水彩畫に就て見るに、其流派が種々雜多にして圓き畫法のものあり剛きあり濛朧たるものあり明白なるあり、何れも作者の意の向ふ所に從ひ各自の領分を充分に現はせるは、觀者の眼に變化を與へて興味を深からしむるのみならず、漸く作者の主張をも窺知ずることを得て後來の發展上誠に賀すべきことなり、又其畫題に於ても種々にして且つ自から分擔的の傾向を生じつゝあるは西洋美術國の有樣に徴し追々斯術の隆盛に向はんとするの趨勢をも察せられて力強きことゝ云ふべし、同じ景色畫の中にても、山水畫家は專ら山水に從事し田園は專ら田園に或は靜物は專ら靜物に其研究を重ねんとするは益々奥儀を啓得する上に於て最も希はしく又必要ならずとせんや、此に於くか彌々益々其本領を發揮して特殊の妙味を自家作品に現はし來らんとす、水彩畫の前途萬歳なるかな、最とも茲に少々物足りない事ありそは外でもなし人物畫の振はざることなり、成程水彩畫にて人物は油畫の如く修正すること出來ざる不利益あり從つて六かしきものなり、併しながら人物に於て骨格とか肉色とかの難處がある如く景色にても色の遠近空氣の關係を現はす等には、負けず劣らざるの困難あれば此處まづ五分々々と云つての差支へはなかるべし、巳に風景畫にて一家を爲せる作者になどか人物をも作り得ざるの理あらんや、然るに別に理屈ありと思ふは外でもなし、天氣の好く時候の長閑なる日には薄暗い畫室の中にモデルと相對せんよりも三脚を携へて氣清き郊外に飛出し度思ふこと之れなり、否獨り天氣の好き時に限らず、雨が降れば又降つたで面白き景色あり其泥濘に寫れる色、車の輙ドーモ何んとも云へぬなり、風が吹けば吹いたで面白し黄塵濛々たる有樣は誠に好き畫題ならずや、大嵐は又た大嵐で面白し、去つて岩頭では無かつた海邊に立つて白浪怒濤黒雲覆雨を觀せば彌々我術の遠く及ばざるを悟ると共に又深き有益なる教訓を受くるに非らずや、こう云ふような譯で、何時になつても人物を畫く時機は無かるべし、併し無かるべしでは不可なり、どう有つても水彩人物を弘めざる可からず研究せざるべからず、今後奮つて水彩畫人物畫の出品、倍々多くならんこと希望に堪へざるなり、之れは唯希望なれば所謂慾なり、正味の所を云へは、美術館水彩畫は現在の儘にて既に申し分なし結構艱有と存ずるなり、人物畫が欲しいの何んのと云ふは此美術館に關係せるにはなく別の要求なり、別の要求では有るが之れは一般の要求なれば、一つ水彩畫家は大に褌を締める時到到來と云ふべし、終りにもう一つ述べ度きことあり、最早水彩畫の盛運今日の如く目出度きことなるに、之れが專門の團體の設け非らざるは恰も花見に來つて酒なきの感なくんば非らず、願くは帝國水彩畫協會とか水彩畫研究會とか云つたようなものを早々計畫組繊し此道の研精に任ぜば如何、將に鬼に金棒閻魔に釘抜豆腐屋に喇叭なるべし、何卒早速同志諸君の御決行を切に希望する次第なり、以上東西々々、

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