文壇の大家某、黒田清輝の言

 
『みづゑ』第二十五 P.13
明治40年6月1日

 文壇の大家某氏曰く「博覽會で繪を見て來ました、日本畫にも西洋畫にも何れも物足らぬ處はある、不足はあるが、日本畫の方は最早老成してゐて、不完全なのであるから、前途の望はない、西洋畫の方はまだ年が若く、詰り其れが爲めに不充分といふのであつて、將來が遠いから大に希望がある」と。
 又曰く「油繪は未だ何となく重い處があつて、日本に調和しない、水彩畫はよく日本の自然が描き現はせてあるし、日本の建築にも適する。日本畫に飽き足らず、油繪ではシッコイといふ、現時の要求を滿たすものは水彩畫であらう、將來繪畫界に重きをなすものも同じく水彩畫であらう」と。
 

高橋直子筆

 黒田清輝氏曰く「繪は他の學問と違ひセオレヲカルのものでないから、其教授法にも如何に畫くべきかとの講釋はない、只先生の研究所へ毎日出掛けて、獨習したり他の人の畫くのを見學して自分で畫くのである、すると先生が日に一度宛學生の畫を批評される、批評といつても『君の繪は餘り堅た過る』とか『柔か過る』といはれるのみで、如何にすれば堅くなるか柔かになるやを教へるのではない、夫故學生自身が種々に工風もし研究して畫くので、斯くして畫く間に自然と自得し上達するのである、云はゝ先生はたゞ繪の方角をつけて呉れるのである、何故先生がこのやうにするかといふに、餘り先生が干渉して手を執つて教ゆるやうな事では、却て學生自身の伎倆が發達しない、又斯く斯くに畫かねばならぬと教へては、其畫が先生と同模型となり、本人の特色を發輝する妨となり大家となる事が出來ないからである」
 又曰く「野心と慾氣は美術研究の禁物である、それを悟つて、此に始めて畫が俗氣を離れて美術的のものとなるのである(中學世界)

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