水彩畫研究所四月月次會の記
はん
『みづゑ』第二十五 P.14-15
明治40年6月1日
殘んの花は一片毎に春を送り盡して、あはれ帝京の春今將に暮なんとす、野に立つて行く春の曲を歌ふものは誰ぞ、傷ひ哉岸に佇めば、江水春を流して水に音なく、仰て天空を望めば、白雲岫頭に湧いて西風坐ろに寒し、あゝ我昨夜落花を夢み、三春の行樂未た盡ざるに滿目荒寞の景、覺めて此痛恨の思を如何せん、
今朝南風高く吹て、雲の帷は忽にして散しぬ、曙光融々青霞一抹巳に我心新なり、東郊西疇たゝ菜花黄に青麥秀で、村々落々★かに筑波の頂を望む時、突如脚下より翔けり立ちて、みるがうちに青空高く飛ひ上り薄絹の如き霞に漂ひつゝ歌ふものは雲雀ならずや、自然の美觀、不可言の妙趣、美神の懐ろに抱かるるものは幸いなるかな
此日(四月二十八日)墨堤百花園に同好の月次會は開かれたり、舟よりするもの、車よりするもの、先つもの、後るゝもの、やがて二十幾名と注せられぬ、
人集まる頃天殘なく晴れ渡れり、初夏の風心よく肌を吹てまづ其快言ふべからず、早く已に、三脚を据へてイーゼルに而ふもの、歩々手をとつて園中を逍遙するもの、花を寫すもの、草を賞するもの、語るもの吟するもの、心ゆく此日なるかな、
園は櫻桃花已に散れども、枝葉榛々たる常盤樹のうち楓の新縁滴たるが如く、芳草地を綴つて露に霑ふ、牡丹あり開くものは淡紅、開かさるは純白、藤の紫、躑躅の紅、名も知らぬ渡り花、奇葩をひらき異香を放つ、汀の柳、竹の叢、而して狂蝶痴蜂未だ春夢より覺めす、池水の漣燦々として光り輝く、
三々五々の客又春を追ふて來る、衣香道に迷ひ、簪影地に印す、園の聯に曰く春夏秋冬花不斷東西南北客爭來と、實に其名に背かず我等が會又其處を得たりといふべし、
午後一時一堂に會して例會に移る、河合丸山大下の三先生、生徒某々等二十五名、集る所の繪畫百有參十點、僅かに一ケ月の作品實に盛會なりといはさるべからず、氣候温和郊外の春蟄するもの驚き★するもの萌する時、各自彩筆を揮ふ又宜なりといふべし、惜むらくは室せまく悉く之を壁間に掲ぐること能はず、已むなく床上に列ねて批判す、紅黄緑紫花よりも妍也、園中の客亦顧みて過く、羅綾の衣よりも美也、淡々として瀟洒なるは甲某氏の繪、周到にして濃彩なるは乙某氏の繪、或は緻密細心なるもの、簡素輕妙なるもの、花に草に山に水に一片の自然観亦丹青の技ならずんは能はさるところ、眞面目なる研究僅かに年餘の此會亦望を屬さゝるべからず、やかて丸山先生の精密切實なる講評あり、耳を傾くるもの問を發するの作者、苦心一ヶ月の作、於是乎遺感なかるべし、河合大下の先生亦簡切の評言あり、次て一般の互選となり一等より五等迄の等位を定む、
終つて言問の團子に一座團欒、茶を啜つて坐談哄笑時の移るを知らす、例によつて丸山先生の奇言妙語又一坐の★を解かしむるものあり、隔てなき師弟の關係意は言外にありとす、而して興未た盡きざるに、日巳に傾き道愈く遠し、五時に近く散會す、
密かに思ふ師弟に於ける懇情切意、於之乎全きといはさるべからず、我等が主義は高尚なるところにあり、質素なるところにあり、誠實なるところにあり、而して然も無邪氣なるところに存す、必ずしも其間一點の邪氣も、一片の猜疑をも含まさるなり、世の徒らに虚禮に走り侫媚をことゝする輩と同一ならざるなり、苟も自然を憧憬し美神の懐に抱擁せらるゝもの、亦如此ならずして可ならんや、或は亦世の所謂似而非藝術家なるものあり、詩を作るも繪を賞するも、眞に此等の點を解せざるもの多々也、華奢傲慢の士は權勢のものと雖も我等は與せす、今一日の清會、佳肴を吻まず、婀娜を擁せざるも、悠々として我事足れり矣、
(はん)