寫實主義と自然主義
島村抱月
『みづゑ』第二十五 P.16
明治40年6月1日
ドイツの『近世美術史』の著者ローゼンベルグといふ人は、繪畫論の序に、寫實派は自然を自然の儘に醜は醜、美は美と寫せども、それが爲めに畫家の圖取、布置、色彩等の特權を棄つることはしないもの、自然派は全く自然に無條件の服從をなして、偶然的でも無形式でも無秩序でも構はず自然の來るがまゝを寫すものとしてゐる。盖し表面の解釋としては要領を得てゐるものであらう、たゝ僕を以て之れを見れば今少しく立ち入つた解釋が欲しい。二つながら客觀を客觀のまゝに取り扱つて、主觀の作爲を許さぬといふ點は同じであるが寫實主義はひとり全體的な布置、結構といふ作爲をば詐す、自然主義は之れをも斥けて全然の無作爲とするといふ。
右の説は或程度迄は眞理である。併し所謂全體の作爲と然らざる作爲との區別は事實に於いて立ち難く、また自然派の作品と稱するものが必ずしも全く一切の作爲を排し得るとは限らぬ場合が多い、結局はたゞ作爲の痕跡の多少といふ程度問題に歸してしまふ。
それよりも重要なる問題は自然派がかくの如く作爲を減じ行かんとする動機は何であるかといふ事である。何のために成るべく多く自然に接近せんとするか。其答は夫の英詩人ワーヅワースの自然主義を評した一評家が寫實派を難じて「冷かに理解的記録を作る」といつた言に見出だす事が出來る「冷かに理解的記録を作る」を慊らずとするの聲は、やがて内にある生きたものを求めんとするの萌である。作爲を排して自然に肉薄せんとするものは、之れによつて内部の生命に觸れんとするからであらう。一層動的な、一層深いものを求めんとするからであらう。自然派本來の出立點は此處にあるのではないか。寫實派が古典派に對するの不滿足も是であつた、今亦自然派が寫實派に對する不滿足も是である。
(島村抱月氏、早稻田文學)