寄書 問はるゝまゝに

金澤信夫
『みづゑ』第二十五 P.18
明治40年6月1日

 何んですッて前口上は後にして好いから早く話せッて、イヤ僕だッて話さぬ事はないさ、然しそんなにせき給ふな今茶を入れるから、菓子でも喰ひながらゆッくり話すとしよう、美術家たるものはよろしく氣を永くす可しだよ、何?・・・・・明朝早くスケツチに行くのだから早く寝るのだから早く話せッて、ナーニいゝさゆッくり遊んで行き給ひ、サーそろそろ話すとしようかな・・・・・・聊も僕が水彩畫をしねくり初めたのは確には記憶しては居らんがそをさナ・・・・・・かれこれ二三年も前だッたろー、元來僕は少さい時から繪といふものに多大なる趣味を拂ッて居ッたのた、よく叔父様の本などへ安い繪具で彩色して叱かられたのを今でもよくおぼへてゐるよ、其の時分は僕の小學校では日本畫をやッて居たけれども僕にはいかにも日本畫でも物たりない氣がした、どーかして自然に近い繪を畫きたく思ツて居たのだ、『イヤ至極最だ』君まぜッかいしてはいかんよ、それではモーやめるよ何?静かに聽くから其先を話せッて、ヨシそれなら話そう、或時僕は君も知ッてるだろー○○君ね彼れに誘はれて上野の大平洋畫會へ行ッたのだ、ところが實に僕は喜しかッたね、僕が今までの理想の繪を見る事が出來たのだ、其中でも君の好きな○○先生の水彩ね實に實に氣に入ッたのさ、それが聊も僕をしてこの道に志しめた動機とでもなッたのだろーよ、それからと云ふものは何にもして水彩畫を習いたいと思ッて居ッたのだ、ところが幸にも或本屋で大下先生の水彩畫栞を見付けたのだ、早速買ッて内容を拝見すると吾等初等者にもわかりやすく親切に一々こまかに説明されてあるのさ、僕は愉快でたまらなかッたよ君も其樣な事が有ッたろー君ッ、僕が先程から見て居ると菓子ばかりやらかしてるがそれでも話しを聞いてるのか?何?聞いてるッて、面白いから其先を話せッてマー待ち給ひ茶でも一杯のんで話すよ、さーそれからと云ふものは晴天なれば毎日曜には屹度寫生に行ッたね、寫生と云ふと何んだか大げさの樣だが、實に道具と云ッても唯だ安い繪具と筆と日本畫に用ふる筆洗くらいのものさ、何ッ水か?正宗の二合入り空瓶へ入れて持ッて行ッたのだ、然し愉快だね初めの中は隨分失敗したね、或時は何度か筆を折り紙をさき斷念しようかと思ッた事もあッた、それでも常に僕は自から心を取りなをして再び筆を取り研究する身となッたのだ、其間には隨分面白い失敗談もあるよ、今でも僕は其時分の事を思ひ出して獨りで笑ひ度くなることがたくさんあるよ、御蔭樣で當今ではやッと繪らしいものを畫く事が出來る樣になッた、實に僕は感謝の念にたへんよ、僕などは少さい時分は身が弱くッて隨分親泣せで有ッたが、今ではビンビンはねすぎてかヘッて困るくらいさ、それもこれも皆朝早く起きて寫生に行き、田園の新鮮なる空氣を吸ッた御蔭さ、何ッ?もうねむいから續きは明夜ゆッくり聽くッてそれじやー明の晩は屹度來給い・・・・・・・・・・・・サヨナラ・・・

この記事をPDFで見る