版のなぐさみ 木口木版

山本鼎ヤマモトカナエ(1882-1946) 作者一覧へ

山本鼎
『みづゑ』第二十六
明治40年7月3日

 木口木版は自畫石版やエツチング等のやうに、鉛筆畫、若くはペン畫の經驗を直ちに應用する事が出來ない、特に彫刻刀の使用法を學び、彫線と濃淡との關係、彫線と物質との關係等に就て練習し、自得せねばならない。と、云ふと頗るおツくうのやうであるが、實際は大してむづかしいものでははない、勿論、專門家たらむ基礎には、五六年の學生期を費してなほ足れりとしないのである。併し慰みには復製的の責任はない。却つて幼稚な粗末な線に、言ふべからざる趣きがあるので。刀の運動が少しく意にまかせて、二三本の細い線がすがれ無く彫れるやうになれば早く自畫自刻の簡單な版畫を試みて、應用された技術の趣味を白覺するのが利益である。覺えたのちは他の版に比して多くの便利がある、道具立が甚だ簡易で、作畫、轉寫、製版、印刷の一切が机の上で始末がつく。特に、其轉寫の點に都合のいゝ事は、寫眞を應用される事で、原畫より伸縮しやうとする如き場合にも、濕板寫眞に撮つて、其膜を木板へ貼りつけるといふ事が出來るのである。寫眞を用ふる事は、復製的の企圖を遂ぐるには最も確實な方法であるが、亦あまり、原畫の濃淡、筆致などが明瞭なため、非復製的な刀勢が拘束されてつい鈍る事がある。けれどもつまる處、寫眞を用ふるにしても板面の印畫に拘泥することなく、剛情に木版の版畫を作るといふ企望を押し通せば宜しい。(此木版下を撮る寫眞屋は市中に三四ヶ所あり)此他、原畫を鏡に映し、お白粉を塗た板面(お白粉を薄く膠を溶いた水に混ぜる)へ水畫流に墨で模寫する事もある。又原畫の上に雁皮紙をのせて透かし寫し、それを板面に伏せて濕りを與へ、新聞紙を十六折り位にして其上に當がひ、棒の如き滑かな堅きものにて強く摩擦して雁皮の墨を板面に轉寫する事もある。轉寫したのち、紅インキを薄くして板面へ塗つておくと、彫線がはつきりとして彫りよい。要するに素人の慰みとしては、濃淡や輪廓の複雜したものは一寸出來難いのであるから、第三の轉寫法を最も適したものとする。今彫刻の法を説く前に、必要の道具や材料を記そう。それは彫刻刀と、彫浚鑿と、柘、若くは椿の木地である。(木口を版面とす)
 

第一圖

 諸君ははじめに先づ、D若くはEの刀を以て板面に細線の並列を學ばねばならぬ。此刀は彫線に太細の出來ぬ刀で、これで巧に線を彫り揃えられたものは平面な一色を現すので、彼のナショナルリーダーの、白い文字を示したグラウンドは即ちそれである、之は術語でカスミと云ふて居る、このカスミを四五枚も試みるうちには、諸君の手も大凡の呼吸をのみ込むであらう。(つゞく)

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