夏の寫生旅行
丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ
丸山晩霞
『みづゑ』第二十六
明治40年7月3日
活動體なる自然界を四季に分つと、早春は無邪氣の靜止的にて、晩春より初夏に渉りて漸く活動的となり、而して盛夏は活動の最も烈しき時である、秋より冬に渉りて漸次靜止に歸るのである。而してこれを人生の上に譬ふると、一月は人の世に出でんとするときで、二月は人の世に生れ出でた相である、三月四月は無邪氣なる靑年の希望に充てる相にて、五月六月は大なる希望を充して世に向はんと欲するのとき、七月八月は奮鬪時代にて、九月十月は成功時代で滿足の相がある、十一月は無邪氣に歸り、十二月は又元の神の時代に歸着するのである。
今此自然界に現はるる色彩が、早春より晩冬に變りゆくさまは人の全生涯によく適合して居る、自然界の現はして居る一月の色は、雪と白と雲のなき陰の黒にて、雪の降らざる地方にありては、天を白と見る可く地を黒と見る可く、一月の色は黒と白とにて現はれて居る、然して白と言ひ黒と言ふのは、色といふ名稱を附すことが出來ない、何れも清淨無垢のものにて、色は白の濁りたるもの又、黒の明るくなりたるものをいふのである、この二つのものはかゝる意義に於て神のものとして居る、神靈の表示等にこの二つか用ひ即ち、白鳩自百合白狐白鳥烏蛇白蛇白衣黒衣等の如く、一月は最も神聖なる神の色で、人の胎内にある相である、二月頃になると自然界には陽氣の動き初めて、雪は消えてこのときより黄と青とかが加はり、この頃吹く花にも昆虫にも殆んど黄と白に限られて居る、黄は白の稍々濁りたるものにて、青は黒の明るくなりしものである。自然界はこゝに黄と青なる色を現はしたのは、丁度人がこの現實界に生れ出でたのである、人が世に出でし上は最早神では無く、比較的神に近い人間である、世に生れ出し兒は忽ち泣くであらふ、彼は渇するためである、彼は病むためである。三月四月と漸次淡紅、淡紫、淡緑といふ色が加はるのは、丁度稚兒の成長して行く順序で、四月を小學時となし、五月は中學時代にて、六月は大學時代ともいふ可きか。こゝに青春の美はしき花は開かれ、これよりは煩惱相なる社會に出でゝ、活動を始めるの端緒は七月にて、八月より九月中旬頃までは大活動大奮鬪の烈しき生存競爭時代で、九月中旬より十月は成功時代で、煩惱相なる盛夏の濃緑はこの頃より黄に歸り、草木の實は熟し人も成功して黄なる安慰の相を現はし、安慰の相は無邪氣に歸り、十月の初霜は人も頭髪に霜を現はし、草木枯凋して雪の布團を纒ふて眠りの床に入る、十二月は、又元の神に歸るので白と黒か現はし、人もこのとき安らけき眠りより神の境地に旅行するのである。
自然界の活動せる有樣は、凡てがその季節によつて變化し又、その季節に從ふて調和してゆくのが自然の定則であるから、盛夏の大活動大奮鬪的に人もこの定則を守つて居る、河海に漁するもの、田野に耕すもの、山に草刈る男の子、畑に桑摘む乙女、各々己が天賦の性を盡して自然の約束を守り、誠の汗を全身に流して働て居る。彼等は眞の自然兒にて又神の愛の兒である。干穩なる桃源を破るは、農夫の鍬を捨つるときであるとのこと。人は各々捧ぐる處の職業を持つて居る、その業は千差萬別であるが、多くは自巳を立てゝ活動の盛夏を靜的に樂しまんと欲して居る。山紫水明の間に暑を避けるのもよい、又は海岸湖畔に凉を求むるのもよい、されど彼等の多くは永き夏の日か無事に苦しみて無聊を叫んで居る。惟ふにこれ等の人々は、自然てふ趣味を解さゞるため自然の約束を破つて居る、自然の如くに活動しなくてはならぬ、避暑地にも行く可し、旅行も爲すべし、高山にも登る可し、山河も抜渉すべし、大に日光浴を爲して自然の樹木を見る如く、寒暑に屈せず、雪にも嵐にも折れぬ健康體を養はなくてはならない。されどかゝる眞の活動にも、何か意義と目的が無くては出來ない、その目的は先づ自然てふ恩帥に親しみて、其趣味を解するといふのにある、それに親しむ方法はいくらもある、科學研究もよい、詩情畫趣を求むるのもよい、要は趣味を解すれば足るのである。然して吾等の立場より諸君に勸むるは、繪筆を握つて自然に親むのである、自然に親しむには自然の心を以て親しまなくてはならぬ、自然の心とは自己を離れた天の心である、この心を以て親しむものには、自然は手をのべて吾等を歡迎して、吾等が常に迷ひつゝある人生の意義をまで教へてくれるのである、世に何の趣味もなく、自己をたてた物質的にのみ快を貧る人は、誠の心の無きものである。
今や暑は眼前に迫りて、暑中休暇の永き口を如何にして過す可きか。學生は山水明媚なる故山に歸り、待ち侘びて迎ふる懷かしき父母を喜ばせ、慕はしき兄妹と手を携へて翠を何れに拾はんか。其他の人々が各々思ひ思ひの銷夏を爲すであらふ、底で余は夏の寫生旅行に就て、これより聊か自分の經驗せしことを、專門家以外の人の參考にまで述べて見やう。
旅行の用意夏の旅行にはなるべく持物の少いのがよい、交通の便利なる地に行くには、畫具一式を持參するのがよい。草鞋履の旅行には、スケツブツクと、ポツケツトに入るゝ小さい繪具箱に、彩筆、鉛筆、消護謨、小刀、小刀は他にも必用のことがあるから大きなのがよい。三脚、これは他の荷物の都合にて持たなくも差支ひない、寫生せんと欲する處には、必ず石か芝生があるから、それに踞しても出來るのである。が然し三脚は旅中障害物等にも會ふときの保護器にもなるから出來るなら持參する方がよい、水筒、これは二合位這入る大きなものがよい。夏の旅行にありて、水無き所で渇することがある、そのときの用意に爲すのである。寫生の器具はこれだけで充分である。
旅中の感感じといふものは、人々に依て異るものであるから、これを定める事は出來ないから、各自の感想は何でも描くのである。
蚋と虻夏は何れの地方に行くも、蚋と虻は澤山に居る、これに食はるゝ方が、健康體を作るにはよいとの事であるから、僕等は平氣で食はせて居るが、強の方は聊か閉口する、これ等の豫防法は、色々に攻究したが未だ妙案が出て來ない、先年飛騨に旅行したとき、あの邊の農夫が行って居つた豫防法は、檜の皮を打ち碎たものを束ね、それに火を點じて煙らするのである、これは檜の皮に隈られた譯ではない、何でも煙らすれば煙のある間だけは豫防になる。僕は蚋や虻は何とも思はぬが、最も怖る可き障害物が一とつある、それは蛇である、蛇を見て何共思はない人がいふには、蛇は人を見ると逃るではないか、それが何で怖からふといふ、如何にも最の事であるが、僕は最であると信じても怖るゝのである、然して僕はあまり怖るゝため、見なくてすむ可き蛇まで逐出すのである。讀者には僕に同情の人もあらふ、これを豫防するには、寫生して居るまはりに線香に火を點じて立てるのである、丸で生た佛樣の樣であるが、不思議に蛇は出ないのである、蚋の屬にて眼の前にチラチラして、終には眼の中に飛込む奴がある、これには閉口してしまふ、豫防の工風を種々に講じて見たが、そのうちで効を奏したのは、外國嬬人の顔に纒ふレースの袋を作りてかぶるのである。
濕地の害繁茂した森の中や又は溪谷の濕地は、夏は凉しくてよい心地であるが、濕地に長く寫生して居ると、下痢症等を惹き起す事があるから、かゝる地には長時間居らぬのがよい。