『女性と趣味』の後に書す
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
大下藤次郎
『みづゑ』第二十六
明治40年7月3日
女性に繪畫の趣味なきは宛も花に香りなきが如し、香りなき花にも其色美はしきはあるべしさはれそはたゞ其場限りに見て美はしといふのみにて、心の奥に沁み入りていつ迄も忘るゝことかたき、餘韻といふ貴ふときものなきをいかにせむ。
英吉利の婦人は、普通教育を終りて後は必ず水彩畫を習ふべき定めなりといふ、英國婦人の品位高く、兼て應用の才に富めるは偶然にあらずといふべし。然るに吾國に於ては、趣味の教育は久しく閑却せられ從て一般女性の好術日に墮落し、最も貴重なる優美の素質は漸々その影を失はむとす、今にしてこれを救はずは、世は沙漠の如く乾燥無味のものと化し去らむ、これ吾等の常に憂ふるところ、この時にあたり、偶々『女性と趣味』の一篇公にせらる、思ふに此書によつて、多大の益を享くるの人决して少なからざるべし。
著者晩霞氏は極めて花を好むの人なり、就中自己の理想の花とまで稱して、最も愛し最も喜ふものは、白くして清く床しき香りか持てる、鈴蘭またの名を谷間の百合とよばるゝ小なる花なり。この花を愛する人は、今や花の如き女性に向ふて貴き香りを添へむと試みらる、希くは花よりも美はしき人々の、此書によつてその高き趣味を養ひ清き香りを放されむことを望む。
明治四十年六月大下藤次郎識