蓮の頃[一]

鵜澤四丁ウザワシテイ(1869-1944) 作者一覧へ

四丁譯
『みづゑ』第二十六
明治40年7月3日

 日本の夏の蒸暑さに、あらゆる植物は勢を得て、生長すること驚くばかりの速迅さ。昨日の蕾は今日の花、翌日はちりちりに散失せて、たゞ過越方の美しさを偲ぶのみである。されば繪筆とるものゝ一向に多忙しく、誠や自然と力競べ精競べ。若竹の芽は大きな天門冬の如く生長し、その伸びることの速かさは目にも見らるゝばかり。筍の若く柔軟なときは、それを切つて食する、また充分に生長したものは種々の目的に使用する。竹の用途は筧、花瓶、桶の箍や傘、笊、帽子、物干竿、煙管の羅宇、扇、茶笙等、擧げ來れば、一頁を費すも猶足らない位である。竹は實に日本の巧妙な細工物の原料である。竹は多くは高さ二三十尺程に生長する。中には倭少なのもありて小山を縁で覆ふて居るのもあり、また生垣根になるのもある。
 

正會員森寅太郎筆

 夏期の日本の光景は緑色の調和である。暗い松や杉は、かの絢爛たる稻田の最高調からすると、色調の最低調である。(稻田はわれの知る限りでは、最も壯んな緑と思はれる)それで濕地でない地方には、種々な色の變化がある。鎌倉附近の如き、輕い砂地であるから野菜の種々なものがある。甘藷、瓜類、茄子類、豆類、百合等である、百合花は日本人自身が不思議に賞美するのみならず、粧飾にも用ゐて居る。日本では嗜好に關する判斷のない愚物に對しては、趣味の規則があるとしてある。われは日本美術家と吉田で一日散策を試みた、此美術家は彫金家で、富士の諸國から見た圖を半分繪の半分地圖樣のものを造る人であつた。墓地の灰色の石塔の近くに曼珠砂華が咲いて居るので、これは美麗ではないかといふと、友人はいふのに、あれは莫迦花です、それで何故好かないかといへば、たゞ葉がなくて花が咲くからだといふのであつた。茶屋へ歸つてから、友人は鐵筆と紙とをとつて、秋近き頃の美しい七艸を示された。それは薄、桔梗、朝顔、紫苑、女郎花、菊、萩である。これには種々の流派があつて、數へ方に多少の差がある。白百合は普通山地に發生了る野生のもので、食物とする百合は何んな花であるか終に發見しなかつた。オゲサンンがいふには、赤い花が咲く、けれども、庭園中を探しても遂に見當らなかつた。鎌倉附近の田舍家の家根は厚く葺いてあつて、屋根の頂に一八艸の附いて居る土が載せてあるで、青い葉がすいすいと出てゝ居る。七月頃、その近くによくあるのは紫陽花で、球のやうな花が澤山に咲いて、若い時は蒼い黄な緑の花が、時を經るに從て、鮮な藍色から紫色に變ずる。

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