そのをりそのをり 信州より[上]

三宅克己ミヤケコッキ(1874-1954) 作者一覧へ

三宅克己
『みづゑ』第二十六
明治40年7月3日

 八月には是が非でも此信州に來り、共に筆を執り玉はんことを願候、貴兄が此地に來り給へば、繪の外にも又多少の研究すべき材料可有之と存候。
 偖て、最初丸山君と共に小諸に參り、不取敢當地の富豪○○氏と申仁を訪ひ住家の事たど相談致候處、他に適當の家の見當る迄、兎も角も我が新しき別宅の方へ來り給ふこそよけれと申呉れ候間、早速行李とカバンと寫景道具とを携へて其家を借受くることと致候、食物は坂下のそば屋へ一々參る事と致候、毎日朝も畫も『きうりもみ』と『なまりぶし』と申同し菜に御座候、夕刻はいつも信州名物の『蕎麥』、ある時などは夜中に至り、餘程空腹を覺へ堪へ兼て又食ひに參候事も有之候。偶々野外に寫景に出てゝ、遠方遙かに歸り來れば、家の中はガランドウ、唯ランプと行李とカバンが如例亂雜を極め居るのみに御座候、飲みたくも湯茶は愚か水一滴も無之。容赦なく窓を照すとは情知らずの西日のみに御座候、小生は此時こそはホトホト考へ申候何のために小詣に來りしや、何が故に繪を描くべきや、今は確なる希望と申ものなく、唯空漠として其意識に其日々々を送り申居候。小生はいよいよ决する處あり、他に適當なる家を發見し移轉して、可成正直にして身寄少なき老婆を傭ひ、食事その他の世話を頼み、夜分などかゝる婆樣の來歴でも聞きて幾分の慰藉に供し度と存候、然るに都合よく其人をも得候間、いよいよ此老婆を我朋友として、一の生涯を始めんものと、斷然唯今の茅屋へ引移中候。家は田舍のこととて隨分穢なく、都人の眼には三文の價値なきものゝ樣なれど、又詩眼を以て觀れば面白き處も有之、茲こそ我が適當の住家と寧ろ喜び申候。所謂大屋さまなる人は、小學校の校長にして、至て親切なる得難き程の人物一家の人々も氣韻卑しからず、小生獨り此茅屋のうちにあつても物淋しとは感ぜず、况して、質朴にして涙多き老婆の、何時からか來ると申ことさへあれば、愈々心は勇み立ち、移轉の翌日はなかなか繪どころの話にあらず、第一に鐵物屋に行き、釜、鍋、混爐、瀬戸物、さては茶椀、土瓶より摺鉢、手洗鉢に至る迄荒物屋にては桶、櫃、箒、すりこ木たあし、さゝら、澁團扇に至る迄、あらゆる心に浮びしもの悉く買集め、道具屋にては長火鉢、客に出す煙草盆、さへもそれぞれ見立てゝ參り申候、未だ樣子知らぬ場處としては傍に見るよりは中々難澁なものに御座候。(つゞく)

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