猪苗代湖
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
汀鴎
『みづゑ』第二十六
明治40年7月3日
岩代猪苗代湖畔の山潟といふ處は、山間ではありながら極めて便利のよい好地である。
湖水は周廻十五里、北に磐梯、吾妻の活火山近く聳え、高森、高倉、飯豐、布引の連山西南を圍み、風光の秀麗なるは爰に説く迄もない。湖水は水清く、底は砂或は小石にて美しく、苔なく遠淺なれば、水浴遊泳には尤も適し、且幾艘かの小丹あればそを俘べて赤腹、鮒などの湖魚を釣るもよく、疏水の邊は流れ穩かに柳樹茂りて景色優美に、繪筆持つ人寫眞器を弄ぶ人達には材料は無盡藏である。四十年前の戰場たりし若松も近く、二十年前噴火の大活劇を演したる磐梯も程遠からず、其他近傍には瀧もあり温泉場もあれば、夏期一ヶ月位ひは退屈なしに過せる事と思ふ。殊に珍らしきは鐵道旗路に諸所雪除の設備のあるのや。又毎日夕方になると、澤山の馬が孖を連れて野から里へ歸つて來る時で、元より放し飼なれば、道草喰ひつゝ往來を走り廻る樣子は、とても東京附近では見られぬ奇觀である。
山潟迄は上野より汽車で急行八時間、是はちと時間が長いが他の愉快は充分これを償ふに足りる。郵便局へは二十町程、配達は一日二回。電信は停車場で扱つて貰へる、東京の新聞は其日の分を午前中に見ることが出來、牛乳も郡山から毎朝汽車で配蓮して呉れる。村には煙草位しか賣る家はないが、日用品や菓子のやうなものは、郡山から無手數料で取寄せて貰へるから、立派な町に居るのと少しも相違がない。
宿屋は湖東館(關氏)のほかに二軒程ある。中でも湖東館は立派な大きな家で、今善請中の二階からは湖水が見え、靜かで居心地よく、停車場からは僅に一丁程、至極都合のよい家である。主人は土地の生抜で、此地の事情に明るく、妻君は元は東京の人とかで材料こそ乏しけれ、料理は都人士の口に適するやうと日々いろいろに工風してくれる。蚊も居ず、蚤も居ず、元より富屋が本業でなければ算盤を捨てゝ待遇して呉れる、實に此地は、避暑兼寫生地として尤もよい處と思ふから僅かの金錢で清遊を試みんとせらるゝ諸君に御紹介する。
此記事を見て山潟に往かるゝ人は、何處へ泊らるゝとも一應關氏に就て相談されたならば便利が多いと思ふ。そして朝夕はよぽど冷やかであるからフラ子ルの單衣かシヤツの樣なものは持つてゆかれた方がよい。