寄書 我水彩畫

矢ケ崎國民
『みづゑ』第二十六
明治40年7月3日

 音樂會の春期演奏會を開くと云ふので其準備に忙しがつて居たときである、友と二人で、某氏を訪ふて色々會のことを話していざ歸ろうとしたときは、春とは云へどまだ梅の花が日向に數へる程しらなかつた頃で、もう日は暮れかかつた。
 人家のある方を行けば近くはあるけれど、今豆腐屋は鈴をならして行く、納豆賣は大聲をあげて行く、どこかのおかみさんは二合徳利を袖の下へ抱へ込むで行く、子守はワイワイ泣く子をやけに搖り上げて行く、はやくも雨戸はガラガラと繰られると云ふ喧しき時であると云ふので、歩を畑道の間にまげた。
 其昔鹽田三萬石と云はれた麥の芽の短い田は、なかば以上雪に覆はれた女神男神の麓から暮れてくる。
 春霞が立つたなあ!とつぶやきながら仰げば、空は夕日の名殘を雲に留めて、其雲がまた何とも云はれない形と色合をしてゐる、しばし眺めて居ると友はどうしたとフイに肩をはたいて顔をのぞき込む、多分何か話しかけられたのを自分は識らないで居ったのだらう。自分も餘りおかしかつたので笑ひながら雲があまりよかったものだからと云ふと、なるほど美術家は違ふねとおだててくれた。
 だが僕もね!と暫してから友の云ふを聞けば曾て田舍道を旅行したとき水車の音がする、ギイーガタン、ギイカタンとする、人通りは少し靜かな道であつたので聞くとはなしに耳を澄ますと、ギイーと廻りだしてからいろいろの響を出してまたもとのギイーと云ふのに返る、同じ事をくり返しくり返しやつて居るのだが、それがどうも何とも云はれないよい感じがして、我識らず立留まつて聞いて居た、聞けば聞く程恰も天女の樂を奏するが如く思はれた、で今でも其調子を記憶して忘られないと云つた。友は地方で明星とも云はるべきオルガニストであるが、心なき水車の音もかかる人の耳に入りてこそ、他日は美妙なる響となりて幾万の人の心を醉はすことであらう。
 此音樂家に聞えた水車の響はその樣に幸福であるが、僕の目に見えた此雲程また不幸な物はあるまい。
 「好きこそ物の上手なれ」「下手の横ずき」と云ふ二つの諺は、古から廣く使はれて居るが、自分が畫に於けるこそにあらずして橫なるを如何せん。
 美に感じたからと云ふて、それを表すことは不可能であるし、まづ氣久にやつて居たら、其中にはこそになるであらうと思ふてあきらめて居る。けれど畫を始めてから、一寸郊外を散歩しても、旅行しても、或は暮れて行く景色、或は一本の枯木も何をかささやいて居る樣な神秘的な感がする。狹い田舍道にころがつて居る石ころも、僅にせせらいで居る路傍の流も只には見過さない、いや見過されない。これが自分の最もうれしく感ずるところである。
 何を見てもそこに深い意味が籠つて居る樣に思はれて、其意味がまた深い樂しみを自分の心に與へてくれる。畫その物は下手であるが、自然に對して感ずると云ふ事だけは大概の人には敗を取らないつもりだ。
 實に樂しみある散歩意味ある旅行は、畫を始めてから半歳程經てからの後であつた。さて自分が、いかにして橫的の畫を始めたかを『みづゑ』愛讀者諸君の前で白状仕らう。
 さう昨年の暑中休のときであつた、友が澁、田中と云ふ温泉のある地方へ旅行した(澁と云へば今年の夏、大下先生、丸山先生、河合先生が講習をなさる由)その旅先から僕の處へ寄こしたそれが、友の眼に映じて友の手に成つた途上の風俗や景色、畫は色鉛筆の走りがきて頗る簡單なものであつたが、人居れば人、山あれば山、河流るれば河、僅はがき大の紙面に溢るゝ樣に活躍して居る。其友はなかなかの文章家であるが其文章で顯すことの出來ない處が其畫に顯はされて居る。
 自分はさながら其友と一處に歩るいてゐる樣な、實際其友が路傍の石に腰をおろしてスケツチなどして居るところがありありと見える樣な氣がして、日毎に來る其はがきが實にうれしかつた。
 誰もそうであらうが、自分は友からの音信それが非常にうれしいものの一つである。學校から歸る、すぐ机の上を見る、その時に封書なりはがきなりあれば、もうそれを開ひて見ない中は他の事は何も出來ない、それに反して、机上空しくとあれば何だか心寂しい。
 こまごまと記されたのも云ふべからざる情熱の籠つて居るのが感じられて心嬉しいが、
 此五六年來繪葉書が流行して、遠い地に居る友からなど送らるるを見て、其地の風景或は風俗習慣など(色々思ひやられて、音信なるものの樂しみをまた一層深からしめた。
 ところが前に云ふた旅行先の友からの音信に接して、今度は層一層の愉快を感ずると共に、畫に對して切實に其興味を識つたのである。
 こんな樣な理由で、常々友から情ある御手紙ばかり頂戴して居るのも義理が惡い、だが生れつきの不文と來て居るかち、洒落た文句を申上ることも叶はず、一で畫でもかいてやつたら少しは面白からうと云ふので、いよいよ七十五錢(上田では)の水彩繪具を奮發することになつたのである。
 爾來一寸一年にはまだならんが、其間牛の歩みにはまだとても追い付かない、併し蝸牛の歩み位の進歩はあつたと、これは自畫自讃だ。

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