寄書 寫生半日

筒井筒
『みづゑ』第二十六
明治40年7月3日

 日は、六月第一の日曜であつた、晝飯を終るや、否、寫生器具を肩にして目的地へと出掛けた、場所は御幸村還熊八幡社の近傍である、單騎遠征、社の石階の下に三脚を据ゑて、四つ切形の畫板を懸けた、遠景は伊豫の小富士に、中景はガタ馬車の通ふ山越堤、そして前景は社の馬場である、約一時間を費し仕揚を大概にして此處を發した、風早街道を北へ堀江近く歩を進めて、平田妙見堂の丘へと志した丘上は堀江濱を眼下に白帆點々、島も舟も畫中のものである、前景にお旅所(祭禮の)松と綿畑を配して、二面の寫生を試みたのである、三人のはなつたらしは始終畫架の傍に立つて、至極障害であつた、時々往來の先生達も見て居る、しかし、お前方に水彩の趣味が分かるものかと云ふ權幕で、一心不亂‥‥‥遠くに響く工場の六時の汽笛を聞きてやをら器具を仕舞つて凱旋の途に着いた、
 赤陽は大山寺山の端に春て、暮色に滿々たる七曲り道を、馬車埃りを被りつゝ」

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