蓮の頃[二]

鵜澤四丁ウザワシテイ(1869-1944) 作者一覧へ

四丁譯
『みづゑ』第二十七
明治40年8月3日

 七月九日には暑氣の酷甚しいのに、辟易して、この歐化した横濱から山地へと逃出した、汽車を宇都宮に乗捨てた、この町は經濟上からは零落した處で、其昔は旅人は多くこゝに宿泊したものであるが、今日は汽車の爲めに素通りとなつてしまつたので。またも日本の宿屋に身を置くことゝなつたのは嬉しき極みである。稀に見る月光清き夜であつた。われはキモノと下駄で市中を散策して、人々をも見、人々にも凝視せられて、大きな神徳の宮へと上った。蒼白い月光を浴びた景色を飽かず眺めて、言知れぬ喜びに耽つた。
 今貝日光へは鐵道があるので、人多くは日光街道の杉の壮觀を見ないで、直に日光に突進してしまう。われは召使と荷物を汽車で先發させて、屈強な二人曳の俥で行つた。道路は處々頽敗して居つたが、杉の老樹は今猶存じて多年風雪の爲めに列の頽れた處へは若木が植えてあつた。杉並木は數ヤードを離して植えたものとは思はわない。杉の幹と幹とが根元で密接して居る。或ものゝ如きは、大きな木で七本根元が密着して、その長さが八ヤードから十ヤード位あるのを見た。道路は兩側の杉並木が土手になつて、それより一段低くて、夜などは幽暗陰欝であることは推して知らるゝ、其處此處には里道に分れて、今も猶徒歩で旅する巡禮者の休息小屋が處々にある。

アルフレッド、パルソンス筆中禪寺湖の雨

 日光の街は長い坂町で、岩の多い瀬の急な谷川があつて、それには橋が二つ並んで挂つて居る。一つは普通の木製で一般に人々の通行するのであるが、もう一つは朱塗で、黒い桂に、唐銅の粧飾、これは皇帝と皇族に限つて通行せられるのである。この先に山があつて杉の森が欝葱として、其中には大徳川將軍家の祖先家康家光の靈廟がある靈廟としては頗る驚くべきものであるが、遠見には甚だ榮えない。しかし近ついてこれを檢れば、木彫、漆塗鍍金等部分的の美は流石に驚くばかりである。墓は苔蒸した花崗石の礎に唐銅の柱が立つて居つて、宮の後の森蔭にあるのである。この宮殿の色彩が巧妙な技術の壮觀を後に見て、行けば、また閑寂と率直なるに驚かれる。夏の日光は外國人の令嬢や小児等で充滿して居る。皇室にも離宮があつて、皇族の多くはこゝに暑を避けらるゝ。
 山また山は谷川の清水が潺渓として流れて、自ら活氣を添えて居る。それで到る處に爆布がある。われは雨の日に、この瀑布の一であるキリフリを寫生した、瀧への道は廣い石の多い川を越して、野生の花の白、紫、紅と入亂れて草間に埋もれて澤山に咲いて居る艸山を登つて行くのである。花は燕子花、紫陽花、蘭、薔薇其等種々ある。白い山百合の大輪の花が酷く美しい。瀧の直前に掛茶屋があるので、そこで雨を凌いで寫生をした。道は往きには乾いた靴で來たのであるが、歸りには雨水で急流を爲して、辛うじて川を渡つたのであつた。其夜そこに掛つてあつた竹の橋は流されてしまつたといふ事で。
 中禪寺は日光の山道から數時間で達する處で、愛らしい湖水の眺めのある茶屋が並んで居る。神聖な宮には大きな唐銅の鳥居があつて、八月初旬頃から男體山へ登山者の爲めに休息所が列を爲して居る。男體山はこ村の後に峙立って居る山である。五ケ日の霖雨中には、わが茶屋の一室から見えるものは、物として描かないものはない。湖水の水は日増しに高くなつて、二三日後には露臺から手の届くやうになつた、しかし辛うじて處々を俳徊する機を得たのであつた。遂にすばらしい好天氣の朝に、遊心頻りに起つて、湯元へと志した、そして硫黄の温泉と廣漠たる原野の、センジヤウガハラを見た。こゝは海抜殆んど五千尺餘の高山に取巻かれて居るのである。此原野には草花を埋むる程に艸は繁つて居らぬ。殊に美しいのは紫の燕子花と白い草花であつた。湯元の温泉は公開で、路傍に大きな湯漕があつて、臭い湯の中に老若男女が首許り出して這入つて居るのを路傍から見えるのである。われの中禪寺へと歸るころは、山巓は雲を以て覆はれてあつた。原野の略畫を取急つて描了る頃に、また急雨が降出した。路は處々池をなして居るので、人夫は我とわが寫生用具とを背負うと言出した。しかし不幸にも餘の重さに堪えやらず、人夫は蹉跌して、われを最深い池の中へと落した。こんな風で、茶屋へ着く頃には、上着も下着もびしよ濡れ濡れてしまつた。かゝる場合には暖をとるには火鉢は甚だ不適當なものである。熱い沐浴やウイスキーや、干いたキモノが遙に効力がある。それから夕飯後の鶏卵酒が直に陶然として睡眠くなるのである。中禪寺を去つてから、屏風や扇子にある日光の繪を、考へて見た。美術家はその面影は映してある。例之は湖水、杉、大鳥居、また男體山の形等で。しかし皆實際には見るべからざるものを描いて居る。風雨の爲めに日光への歸路は非常に破頽されて、橋渠は落ちた、が急設の假橋で川は渡れた。湖畔の老樹は皆灰色の苔が掛つて、其木下には絶えず花のある灌木がある。躑躅、紫陽花、其他種々ある。また地上には百合や歯朶の種類が澤山にある。
 夜は凉しいといふものゝ、終日雨や霧やで山また谷が閉されて、數百ヤードも離れたら何も見ることの出來ない位な此緑の山を後にして、稍見界の廣い原野の地平線や天空に、再び接することの出來たので、實に嬉しかつた。東京へ歸る途中で、初めて蓮の花を見たのは、鐵道路に近い或る池であつた。それから道を急いで芝の辮天の祠の周圍にある池へと志した。で殊にこゝの蓮の花は濃艶麗質を供えて居るのであつた。
 蓮の花を描くのは、頗る難澁なもので、花の極佳い時は早朝である、朝開く夕方に莟むで翌日散る。葉は酷く大きい、圓青參差として、描すのに旨くまとまりが附かないので、箇々別々に精密な研究を要する。一陣の微風だに渡れば、其矯艷な姿は忽ち崩れて、全く別な形となつてしまう。また此外に玉菜の葉のやうな碧い色の葉の表に、空の色の變つて行くのを反射して、雲が行くに連れて絶えず色が變化するのである。
(つゞく)

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