評
『みづゑ』第二十七 P.22
明治40年8月3日
◎寄宿舎日記文學士中村枯林著
京橋新肴町晴光館
四六形厚表紙ニニ四頁參拾八錢
樂しき中學寄宿舎一年間の生活を描きしもの中に多くの唱歌を挿めり畫學會の記に曰く
十九日金曜
この日放課後談話室に畫學會を開いた、出品總數百三十枚、その内畫の先生の出品が十枚、舎生のは八十枚ばかしで、あとは學校の通學生の出品である、同じ五年級の通學生の木村君と舎の參一さんは兩大關である、(參一さんは沈默家だが顔に似合はず畫も上手、ことに音樂がうまい、人は見掛によらぬとは參一さんから始まつた諺ぢやあるまいかしら)木村君の人物が三枚みんな水彩畫で輕るく畫いてある、參一さんは風景畫が御得意で田園の景色がうまいが何にしろ畫の先生のは本職だけあつて何んとなく押れたものである、僕の出品の風景畫三枚、手並から番をつけたら中程より下であらうが、畫の先生が見に來られて僕の畫のある方に行かれるから僕のを見る人だなと、遠くから睨んでゐると木村君のをつくづくみて僕のには一瞥を與へられたのみで通り過ぎたので、がつかりした。