問に答ふ


『みづゑ』第二十七 P.22
明治40年8月3日

■一東京の各洋畫研究所は少しも畫の素養なき者にも入學を許すや二專門家となるに墨繪を學ぶに鉛筆、木炭孰れを可とするや三極初歩より水彩畫の一斑を研究するに何年を要するや四將來師に就かんとする準備として鉛筆畫の獨習をなすも害なきや(神戸MO生)◎一入學を許す二兩方共必要なり、但研究所にては木炭畫を教ゆ三畫の修業に年限なし、併し勉強してやれば四五年にして一涌りの技術は學び得べし四害なし■一印象派とは何か二繪具は佛國製と英國ニユートン製と何れが上等なりや三日本にて繪具の製造は出來ぬか四日本製の鉛管入は一本何程なりや五大下先生御所持の繪具は何處の製造品なりや(二戸、TT生)◎一主義は自然派に近きもので、描法はポツポツの點のみで描いたり又は色をパレツトに混和せず其儘畫面につけてある烈しき發色を得る等の手段で、配色を詳明にし、同時に空氣、光線といふやうなことに重きを置くなり此派で有名な人は佛人マ子氏である二佛製にてもよき物あれど日本にて賣るものはニユートン製の方よし三日本製繪具は現今にては一、二種を除くの外使用に耐えず四チューブ入ある事をきかず五英國のニユーマン製を多く用ふ■九月開校の水彩畫研究所は午前午後課目は別なりや(赤阪、吉田)課目は同一なれどモデルは異にする筈、相談中につき詳細は規則獲發表迄待たれたし■栃木氏は會員なりや(幹雄)◎否■僕は繪のとり放しはせぬ多數の爲返信漏と思ふ住所氏名をは一報あれ(朽木春翠)■朽木氏より返信なし不都合と思ふ(安積幹雄)

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