鉛筆畫の描法

鵜澤生
『みづゑ』第二十八
明治40年9月3日

 鉛筆畫を巧妙に雅致あるやうに殊に調子のある畫を描うといふには堪えず錬習して居ければならない。これは彩料が鉛筆であるから困難であるのであるが、運筆を巧にすれば、頗る幽雅なるものである。しかし殘念な事には、世間では鉛筆畫に餘り重きを置かない。
 鉛筆はBB印が宜しい。用紙は滑かなのが可い、其の故は陰影の漸滅調を描くに、最も淡い調子から最も深い調子まで思ふ通りに出來るからである。
 再び鉛筆畫はペン畫と同格同性質のもので、しかもエフクトの種類が廣いといふ利益がある鉛筆は大きな畫よりも少さなものに適する。それで裸體畫などを手早く習作しやうといふには頗る便利である。殊にモデルの活動や姿勢な寫す屈曲した活溌な線を描くに宜しい。
 鉛筆畫を描くには鉛筆の削方を常に注意しなければならない。でその削方は第一圖のスケツチのやうに削る。木と鉛墨とを一方附けて削るやうにして、鉛墨を扁平にする。鉛筆の持方は人差指と母指とて持って。その一端を藥指と小指との間でさゝへる。かくすると固くも平たくも持てる。それでブラツシのやうに廣くも描け。確固したタツチも出來る。
 いふまでもなく鉛筆の用法は甚だ困難である。實に鉛筆一本で調子も形も巧妙に描うといふのであるから。自ら鉛筆と用紙とを撰ばねばならぬ事となる。自分の常に用ひて居る鉛筆は英國ウインゾル、アンド、ニユートン會社製のBB印で、これが最良であるやうだ。用紙は藥瓶等を包んである包紙を使用する。これは機械製の洋紙で。別に特種な名はないのである。この紙は鉛筆畫の調子を描くに絶對的に完全な紙である。併し紙質が薄いので。運筆に注意をしなければならない。また餘り消護謨を使用すると紙質を損する虞がある鉛筆畫には用紙の滑かな方を使用する。自分にまたプラックバーンのスタディオペーパーといふ洋紙を使用する。これも良質な紙で初學者に殊に可からうと思はれる。といふのは紙質が強固で、消護謨に堪えるからである。消護謨はウエブスターのが宜しい。これは膠粘土質を帶びたもので。鉛筆も容易に消える。これを指先で捏ッて用ふれば光部を取去るも。また鋭くするにも容易である。藥瓶の包紙のやうな薄い洋紙は幾枚も重ねて置いて描くがよろしい。自分は常に洋紙を半帖位宛、重ねて描いて居る。そうすると運筆の際に、紙に彈力があツて頗る工合が可い。それから普通畫用紙の下に粗い紙を入れて、その紙質の形を表はして描くのも一法である。細微なものゝ調子を出すには、少さな擦筆を用ゐて、大きなものには小指の先か豚の毛の筆を使用する。
 やはらかみとまるみとを出すには。片端から片附けて行くのである。例之へていふて見れば、モザイクをやるやうにするのである。鉛筆畫は調子一ツである。この調子を旨く現はさうといふには、只熟錬の一途あるのみである。偶然の筆にもいふべからざる妙味のあるのがあるが。これは熟錬の士の輕妙なる運筆の餘波である。
 第二圖の老人の首の調子を描くには、太い和かい鉛筆を使用する。首の輪廓を淡くスケツチしてから。第一に陰影をつける。それから半調子を附け、終りに最高の調子を附ける。最淡い調子の處は扁平の豚毛筆を使用する。それから暗い處を思ひ切ツて黑くする。すると深みと光澤がでる鉛筆を扁平に削ツて使用すると、鋭いタツチが旨く出來る。鼻や其他の部分のやうに、また光部がなくなッたときは、もし必要ならば、ウエブスターの消護謨を使用するが宜しい。
 繪の淡い調子は皆擦筆を使用した結果である。裸體の輪廓を鉛筆で習作する場合には、運筆は極めて自由な活氣のある態度でせねばならない。併し一線を畫するにも、モデルの特性や均合等を最も注意深い觀察を下して、これを心中に藏して置いて、然る後に、筆を下さねばならぬ。假線は淡く引いて、これを護謨で消取らぬやうにする。その儘のこして置いて决して邪魔になるものではない。反て趣を添えるものである。正確な線は最も強い確乎りしたタツチでする。
 img.0896_01.jpg/第一圖終に畫風に就いて一言する。畫風は不定なもので、これが偉大で著名であると一體を成すことになる。繪畫の畫風といふものは、畫家の精神の發露である。スケツチの單純なものなどは。作家精神が凝ツて、その特性を露はして居るもので、こゝに到ると完成前よりは、より趣があるものである。であるから、初學者におすゝめする。模寫といふことはよくないが大家の畫風を至細に研究なさいと。大家といふべきものは、ミカイルアンジエロ、レオナルドー、ダ、ウインチ、ラフアイル、及文藝復興期の諸大家である。これを詳密に研究すれば、各特色があることが分る。ミカイルアンジエロの繪畫の如き。其一線一畫皆活動して居る。實に入神の技、宛として生命あるものを見るが如しである。ラフアエルの畫風に至りては、微妙な音樂を聞くの感がある。レオナルドーの描線は、巧妙の筆力、錨の如き思がある。
 img.0896_02.jpg/第二圖英國の鉛筆畫家中の白眉ともいふべきものはプロフエツサー、フオン、ハーコマーとロツクパート、ボーグルであらう。白分の如きもこの二大家の繪畫を見て、大いに得る處があツた。自分の友人ロツクハート、ボーグル氏は不幸にして一九〇〇年に易簀した、氏は近來稀に見る鉛筆畫の大家であッたが惜しむべきことである。
 エー、ボーロー、ジヨンソン
 稿並に畫
○畫人のオ能の如何に係はらず、其天物を疎んずるに至るは余は深く其將來を危む。
○寫眞器の發明は美術の重んずべきを確かめたり、假令寫眞が色彩を寫出すことありとも遠く繪畫の下にあるべし。

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