寫生帖[一]


『みづゑ』第二十八
明治40年9月3日

■今度の講習で始めて繪といふものが判つた■形が出來たら濃淡、それがドーかコーか出來ると色彩、こいつも稍こぎつけたら此度は感じが出なくなつてはいけぬといふ何處迄往ったらよいものか、繪は六つかしいものである■墨繪の必要をつくづく感じた■大下先生の講話のうち『樹木の緑に黄が足りぬ、物に注意することをキをつけうといふのはこれから始まつたものかも知れぬ』と言はれたのには思はず笑はされた、今迄それを知らなかつたのはキの利かぬ次第さ■暑い暑い天王寺で日蔭のつもりで三脚を下すと、いつか日向になつて仕まふ、さぞ暖かだろうと冷笑してゆく奴もある■二丁も三丁も離れ離れに寫生してゐる中を、幾度も見廻つて歩行く先生達の勞は多謝します■參考品として西洋の名畫を澤山見せられた時は歸るのが厭になつた■モー仕舞ですかと散會日の時さもさも殘念さうに溜息を吐いてゐた人もあつた。
 img.0899_01.jpg/正會員高橋松治筆

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