蓮の頃[三]

鵜澤四丁ウザワシテイ(1869-1944) 作者一覧へ

四丁譯
『みづゑ』第二十八
明治40年9月3日

 日本畫の花の畫き方は=奇麗に畫いてあるが、=流派傳來の描法を用ゐて居る。此描法の發明者は眞の印象派で、植物の癖を捕へて描く。それが代々門派が此習俗に泥んで來たので此描法も初めはたゝ癖を採ッたに過きなつたが、其門葉等が次第にこれを誇大に描くやうになツた、であるから「自然」を見るにも自己等の眼で見ないで師匠の眼で見るといふ風である。通例蓮の花を描いてあるのを見るのに、普通花に對するやうに自然に描てない。宛ら植物學の標本にでもあるものらしい氣がする。實に自然を研究して畫くといふ事はなくて、唯師風をこれ墨守して居るのである。例之ば蓮の莖にある點の如き、極接近して見れば、成程分明るが。ものゝ三ヤードも離れゝば、點があるかないかゞ、さツぱり分明ツたものでない。其昔或畫伯が蓮の董に注目して、點を施したので、現今は皆こうすることゝなツた。點がだんだん大きくなツて來た。されば恐らく或天才が起ッて畫風を一變するまでは、このまゝで行くのであらう。其天才の仕事といふのは、日本舊來の描法をてずに、更に自然に近附くやうにして、日本畫の革進を計るのである。
 img.0902_01.jpg/見物人アルフレツド、パルソンス日本の景色畫の行き方は、クロードやダヴイツド、コツクスや、または早書の鉛筆寫生のやうな、容易なものでもないが、種々の方法で其事實を記して居る。自然を摸傚するといふ事は。繪事に付ての永久の問題である。彼のミレーまたは彼の流を酌むもの、または、マネー、モネー、近世佛蘭西等の如きより、一歩を進めたものではあるまいか、試に壁に映った小枝の葉を見られよ、其復雜な形や、色彩や陰顯の勢等が、どれだけ眞に模寫せられてあるか。或事實の如きは殆ど無意識に塗つてあるではないか。で是非寫さなければならぬといふ癖の捕まい所は其國々の畫風に依て畫家獨特の技であるのであるが。日本では、パイザンテインまたは其他東洋畫に於けるが如く、此問題は昔からの練修で既に業に解决せられて居るのである。でこれがその多くの美質を損せずに繪畫に新生命を注入する強健な人の活氣となつて居る。恐らくは日本畫家が此描法を單に眞似るといふのを止めて、其精神をとつたならば、西洋畫も自由な方向に向け得られると思ふ。が刻下の處では、これが爲に影響する處は、利益よりも寧ろ害が多からうと思はれる。
 日本人は數線で描いた畫の意味を直に解得して。畫家が顯はした詩的感想を了解する。で畫家自身ですらも思及ばん處迄も考へてくれるのである。實に一筆で描いたやうなものでも、優に觀者をして畫の詩想を知らしめるに足るのである。
 辮天の小島は人の往來の繁い處で、自分の畫架の周圍は朝から晩まで見物人で堵をなして居る。警官が巡回して來る度には、あたりへ散ってしまうが、其影が見えなくなると、また新しい人堵が寄つて來る。寄つて來るのは大概小供で、日本の小供は普通のものからすると倍になる勘定だ。何故かといふと皆小供が、少さい小供を脊負ふて居るからである。惟ふに日本だとて、こんな風に一對になつて産れたのであるまいが、小供の時は少さな小供を脊負ふといふ習慣なのであらう。で極めで少さな人間がない時には、人形を背負ふて居る。見物入は大概丁寧ではあるが、畫を模して居るところへ、極近く寄って來るので。肱も自由に動かせない位、道具を顛倒されなければ、畫家の勇氣をくじくほどである。見物人は自分の描いて居るものを寫眞だといふものもある、またやゝ有教育者は油繪だといツて居る。それは西洋畫といふ處から聯想されたものであらう。また一人は繪具の奇麗な色を見て、あれは釉藥だといツて居た。われの辮當をつかつた、池の直側の茶店亭主が、見物人のたかるのを酷く心配してくれて、翌日行ツた時には、われの描く處の中へ人の這入られないやうにと、細い竹を立てゝ、それに糸を張ツて、垣を作ツて置いてくれた。人の通らないやうにと細糸一本道へ張ッて置いて、それで澤山な位に、從順な扱ひ易い人種である。此平和な娯樂好きな日本人の性質を見ても、かの日本歴史の頁が血腥い革命の勇壯な戰争に滿て居るといふのが、殆ど判斷に苦しむ位なのである。これはかの徳川獨裁政下の二百年間に於て、無理に從順さするといふ性質を養成せられたものではあるまいか。それでまた過去の騒動は單に歴代の争ひ、または異族間の事件であツたのではあるまいか。で恐らくは人民は猶今日の如く柔和であツたので、常に農に商に勵精して居ッて騒動などには少しも心を傾けない。たゞ兵糧の御用を勤めるといふのであツたらう。
 蓮の花は佛教には密接の關係がある。佛陀の像の多くは此花の上に立つか座るかして居る。また莟を兩手に持ッて居るものもある。で此花は重に寺院の裝飾に用ゐてある。此蓮の花や葉や苔、實等の形を金屬製にして、花瓶に挿して祭壇に供えてある、中には頗る精巧な作もあるので。此花の佛教徒の心中に描く理想的人物を代表して居るのである。で蓮が游泥の中に生長しなから、清浄拭ふが如き美麗な花が険くので。澆季の世に清廉の模範である。花の芳氣が四邊に薫ずるので、其人物の善行が他の人々に感化を與へる。花は朝日に開くので。其人物の心は智慧の光によつて開かれる。蓮の枝のない莖は葉も花も別々になつて居るので、二心なく目的に直達する形とある。其根は食用になるので、これが其人物の生命の基礎で。他の人々にも要用なものであることを示して居る。でわれはこれに附言したいのは。善者と同じく、蓮花の夭死するといふことである。蓮の花は前陳の頌徳表がなくとも。其物自身に美麗なものである。ハデーガテスに付ていふたのは、「彼女を美麗にしいと思ふのは、其物にあるのではなくて、それを代表して居るものにあるのだ」。これは普通免るべからざる事で、われ等の感情や記臆を惹起するのは、これが爲に視覺を眩ますやうな事はないが、普通きまツた人に知れ渡ツて居ることは、人の心を鈍らすものであるから、眞正の美を窺ふことが出來ないので、例之ばかの美麗なる櫻草の如きもので、或人の眼には政事的徽章で、單に黨派といふ聯想からこれを稱賛して居る。また反對黨の側では、同じ理由でこれを喜ばぬのである。ホンチ子の句に、
△政黨の徽章に咲くか櫻草
 “A primrose by the river's brim
 A party emblen was to him,
 And it was nothing more.”
 しかし蓮の花はそんな卑しいものではない。佛教徒に採用せられたからといふので、神教徒がこれを讐敵視はしない。でたとへ今日では神彿混交を禁じられた爲めに、分離して居るが。蓮の池は依然として花の美を存して居るのである。わが見た中で蓮池の最も大きなのは、今は國教に轉じた鎌倉の大ハチマンの宮の側にあるのである。廣さは數エークルに曠りて、花の色が三種あツて、白と鮮な薔薇色と、光澤のある貝のやうな淡紅色である。で三色のものが同じやうに生長して、互に艷を竸ふて居るらしい。自蓮は殊に太皷を叩いて祈祷を數時間もして、ひどく喧しい日蓮宗の教徒に採用されて居ッた。また變ッた處では根を採る爲に、稻田の中の處々に植えてあるのがある。蓮の根は砂糖でも入れなければ、あまり旨いものでもないが、しやきしやきして齒切れの可いものである。小供等は肉の多い種壺の中に這入ツで居る胡桃に似た蓮の實を非常に好んで食ふ。蓮の實は丁度小便壺の抦手に好く似て居る。辮天祠畔の茶屋では、此種壺を平たくして干して、茶托等にして居る。(完)
 img.0902_02.jpg/岩代酸川大下藤次郎筆

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