寫生帖[三]


『みづゑ』第二十八
明治40年9月3日

■日本畫をやつた人は筆を二本持つて描く、先生曰く『宮本武藏のやうですね、戸外で寫生する時却て不便ですから一本でお描きなさい』と、成程それもそうか■同しく筆を吸ふ人が多い『そんなに繪具は旨いのですか、色によつて味が遠ひますか』と先生は例の皮肉の評をあびせかける、おかげて仕舞には筆洗の水を呑むものがなくなつた■常盤會では畫面を乾かすに扇子を開いて扇ぐといふ、女持の事であるから金銀紅紫、あちらでもこちらでも蝶の舞ふやうで美しいとの話、こつちではJS君、が白扇で、時々やつてゐた■何といふても一日一日物の形が正しくとれてゆくから嬉しい■僕はやつと蔭といふ事が判って來た■ア、愉快で愉快で耐らない!■SS君の話は素敵に面白い『日本畫を稽古したが、一方に酒があり、一方に酒のない徳利を二本描いて來いと先生から曰はれた。初學者にはドーしてよいか判らない、無理な話だ、両洋畫は順序が立つてよく判るし、そして両白い』と■又曰く『先日先生のお話に、煙草の煙りは繪の保存の上に害があると言はれ、それに先生お二人共煙草を喫まれぬ、私も水彩畫を始めた紀念として斷然煙草を廢めました』と■住吉寫生の時SS君は一生懸命に船の輪廓をとつて、將に色をつけんとする時、其船はスーと何處かへ往つて仕舞つた、そんな約束ではなかつたにと頗る殘念がつたが何とする事も出來なかつた■オイ誰だい人の茶碗をとつて行くのは、君のは前にあるぢやないか。
 img.0903_01.jpg/正會員小神野三男四筆

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