常盤會夏期講習會


『みづゑ』第二十八
明治40年9月3日

 ▼大阪府女子師範學校卒業生團體なる常盤會にては、吾等の來阪を機として、その第三回の夏期講習の課目を水彩畫とし、八月一日より十日間同校内教室に於て開會することになつた。
 ▼同校長にして常盤會の會長たる大村氏は、夙に教育上洋畫の成綾良好なるを認め、今迄圖畫は日本畫であつたのを、昨年來洋畫に改められたそして女子の技藝として水彩畫が最も適當であると考へられて、今囘この催をされたのである。
 ▼桃山に開く本會の講習會は尤も大切なもので、私はその方に全力を注がねばならぬは言ふ迄もないことである、夫故會期が同じであれば出席出來ぬ旨を申通じた處、桃山とは殆と隣り位ひの近さであるから、タトへ一日二時間丈けでも出席して貰いたいと會長からの請求である。
 ▼昨年靑梅に始めて水彩畫の講習會を開いた時には、會員の中に婦人は一人もなかつた、この春、長野の講習會には僅かに二名を數へた、由來このやうな趣味の缺乏してゐる大阪に於て、特に嬬人のみの會であるから、精々二三十名の會員であらふと思つた。
 ▼會員も少數であらうし、男子師範の田中教諭と女子師範の靑木教諭とが親しく教授の任にあたり、私は一時間の講話、一時間の見廻り丈けでよいといふことであるし、且會員は何れも現に小學校教育に從事している人達であるとの話ゆへ、これ等の人達に趣味を傳へることは、やがで多數の兒童に感化を及ほすべき、最も有益の事業であるやうに考がへたから、兎に角出席する事に回答をして置た。
 ▼さて大阪に着して講習の方針を極めた、會員申込數九十名に近く、豫想よりも多數であつた、尤も市内の小學校に居らる人達は宿直があつて毎日出席は出來ぬとの事、夫でも七十名位ひはある、午前七時より八時迄講話、八時から十一時迄實習、午後は自習とし、第一日は開會式に續いて講話をなし、第二日は鉛筆寫生、第三日第四日は一色畫寫生、第五日より第九日迄五日間水彩畫寫生、第十日は批評會、次で閉會式、茶話會といふことに决した、そして講話は其日の實習と常に聯絡を保つやうに、順序に拘はらず進めてゆくとした。
 ▼第一日の講話は繪畫と婦人との關係、自然美論、第二日は鉛筆畫法、第三日は一色畫法、第四日は墨繪の戸外寫生法、第五日より第八日迄は水彩畫法にして、重に色彩について話し、第九日には西洋繪畫史の一般を述べて講話を終つた。
 ▼實習のモデルは書物、インキ壺、ラケツト、ボール、茄子、胡瓜、南瓜、桃、日向葵、百合、コツプ等であつた。
 ▼第二日には多少遲參者があつたが、時間の勵行を望んだゝめ、第三日よりは會員は定刻に必ず集まつた、人力車で一時間もかゝるといふ遠方の人には聊か氣の毒に思つた。
 ▼實習の時間は十一時に終る筈であるが、會員は皆日本畫の素養はあつても水彩畫は初めてゞ、殊に寫生は曾て試みた事もない人が多く、爲めに熱心な人達は、午後の四時頃迄も席を離れず勉強してゐられた。
 ▼第一日の講話を修つて後、印刷物の參考品を見せ、第六日の午後には、私の寫生畫百餘枚を見せて一々説明をした、多少會員の心を動かし、熱心の度を増進させたやうに思はれた。
 ▼十日には田中氏の黑板畫の講話があつて、後會員製作品の批評をした、一人八枚は必ず描いたのであるから、五百枚以上の作品がある筈であるに、陳列されたのは其半數にも滿たなかつた、二れは謙遜といへば夫迄であるが、かゝる處へ進んで出陳して批評を受ける覺悟がなくては進歩は覺束ないことと思つた。
 ▼十日の午後には閉會式があつた、君ヶ代に初まり君ヶ代に終つた、報告によれば、修業證書を受けしもの七十名に近く、半は女子師範の卒業生、半は高等女學校の卒業生である、そして出席比例は百分の九七、二二で、曾つて例のない好成績であるとのことである。
 ▼閉會式が濟んでから茶話會があつた、講師と來賓との談話が濟んで後、會員の唱歌、ビアノ、獨唱、箏曲等の演奏があつた、猶絵興の數々が黑板に記されてあつたが、私は桃山の方の會員の寫生地を見廻はらねばならぬため中途で席辭した。
 ▼會長大村氏、教諭田中、靑木兩氏、并びに常盤會幹事諸氏の熱心によつて、此講脅會も頗る満足な成績を見て無事に終つたのは私の最も喜びとする處である、猶會員の内三四の人は引續いて桃山の會へも出席せられ、群集の中を進んで戸外寫生を試みられし、其勇氣と熱心には心より敬服した、そしてこの分にては將來大阪に於て水彩畫の普及は决して空望ではないといふことを固く信じたのである(汀鴎)

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