寄書 水彩畫を始て實用に供した時の嬉しさ
靜遠病夫
『みづゑ』第二十八
明治40年9月3日
私は水彩畫其物を愛し、又之を樂むので、夫れ以上に利益や愉快を要求しやうとは思はぬでしたが、巧拙は姑く措いて、之を實用に供した時の嬉しさは又格別であつた。時は三月、本縣の葛畑技師が、畜産講習に來郡せられた時に、馬の圖が入用との事で之を募つたに應ずる者が無い、底で私に特に交渉されたが、私は生來一たびも馬を畫いた事がない、且、眼病で執筆せぬ、(今尚然うである)勿論下手は覺悟でも、畫けぬ者は仕方がないと斷わつた、固辭不聽で、一筆畫きでよいから二時間内に仕上げて呉れとの強請、止むを得ぬから拜承して、豫て所藏の馬匹の寫眞數枚を出し、(茲に於て豫備の力の大なるを悟る)て精密に比尺を計算し、其中で標準體格とすべきハクニー種を擇み、刷毛で急寫した。見る見る大きな掛圖が出來た、(此時スケツチ速寫の利を知つた、)壁にかけて余念なく眺めた、所々訂正をもした。
突然戸の明く音がすると共に、ハクニーだナと葛畑氏の聲がしたから、私は振りかへつてドウヤラ馬と見えませうかと恐る恐る問うたに「馬も馬、生粹のハクニー種です」と答へた、この一刹那の私の驚喜は、筆には書けぬ、宜しく御察しを願ふ。
産馬組合長と共に、技師は尺度を用ひて圖の各部分を測り、骨體肉付色澤及種々の特徴を具備したハクニー種との批評を得て、一息した。技師はサスガ專門家、其鑑識眼の高いは勿論であるが、丸素人の處女作が馬匹家に採用されたは無上の愉快である。但是は講習用掛圖であるから、丸で美術畫には少しも、なつて居らぬ、頗る怪しい無理の描法も缺點もあるから、其後郡の人々から時々此馬の圖の話を出さるゝ都度、冷汗洽背で誠に耻づかしくて溜らぬ、ケレドモ私は之を一の美術的の者に仕上げて見たい野心を生じて、常に眼の平癒を所つて居る。寄語す、會員諸君及讀者諸君、若し諸君が斯かるハメに成られた時には、大膽に御揮毫なされては如何、諸君の御技倆では必成功します、万一失敗しても、カラ馬に怪我なしで、ソコハ素人で遁げ道があります。