讀者の領分


『みづゑ』第二十八
明治40年9月3日

■多年の希望は達せられた、大阪で大下大橋兩先生にお目にかゝつた時は實に嬉しかつた、講習は中々大義で辛かつたが又忘れがたい紀念が殘つた(關西畫狂兒)■口繪は石版と三色版と交互に出されたい、それから今一枚墨繪か木版色刷を加へて欲しい(KO生)◎第二項は讀者の數が増さなければ當分望まれません、序であるからお話しますが繪の入らない粗惡な紙に刷つた雜誌は大概定價の四分の一位ひで出來る原價がそんなに廉であつても猶雜誌では原稿料も出せぬといふ『みづゑ』の原價は定價と殆ど同じ程かゝる、其上寄送やら小質店の割引やらで維持してゆくのさへよほど困難である、誌面の改良は飽迄も勉める考へであるが、經濟上に餘地がないからあまり金のかゝる御注文は當分御勘辨を願ひます■さぞ又『みづゑ』卿で講習會の噂があることだろらが、僕は今年は殘念ながら出席出來なかつた、來年も是非關西で開いて下さい(京都玉水生)◎奈良地方で開會する計畫もあります■大下先生が澁の方へ來られなかったのは殘念であつた併し我等は河合丸山兩先生の親切なる教授に滿足して不平は言ひませぬ(失望生)■會員章はよく出來ました唯々感服の外なし尚S、C、Kとは春鳥會の謂に候哉(吉田生)■ヤー僕は四月上旬以來樺太に參つて居りまして諸君に失敬して居りましたが、今七月十五日歸りましたから相かはらず願ひます(函舘港辮天通五十八、染葉、小島虎太郎)

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