『女性と趣味』(發刊の辭)

丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ

丸山晩霞
『みづゑ』第二十九 P.6
明治40年10月3日

 余が先年米國を出發して歐洲に向つたとき、ワシントン府の美術學校の校長メツサーといふ人が、余に離別の言を贈つて行を祝してくれた、それはかうである。
 世界を漫遊する旅客がその旅行中に於て、言語の不通程不便にして且不愉快なるものはない。今や君は吾米國を去つて歐洲の天に向はんと欲するのである、君は怪しき英語の外語る事は出來ないが、美術家であるため不便も不愉快も普通の旅客ほど甚だしくは感じまいと思ふ。美術家は宇宙を親しき友として語る事が出來るから、歐洲の天地は君の來遊を如何ばかり歡迎するであらう、而して君が到る所の自然は君が故國の語も解して君に滿足と愉快と興味とを與へるに違ひない、と云ふたのである。余は斯の語に充分の價値を證する事を得た、歐洲は愚なこと世界何處の涯を漫遊するも、到る處の自然は★々然と我等を歡迎して呉れるので、我等は野末の捨石やいさゝ小川が囁く面白き物語りに耳を傾け、又よく太母の示す文字なき書籍をも解讀する事が出來る。手短かに言へば、この世は今も猶エデン其儘の樂園であると云ふ事を悟つたのである。自然を愛し自然に親しむものは、自然も又之を愛しこれに親しんて、最も佳き報酬を與へる。斯くて其の報酬は金錢財寶に隨喜渇仰の涙を流す世俗輩の夢にも知らぬ精神的快樂、慰安、幸福、滿足、平和、の如き高貴なるものである、精神的快樂を充して吾等の世を觀ずれば、決して人の云ふやうに苦しいものではない。現世は美妙なる天國にして、吾等の周圍を繞れるものは無限の美と無窮の快樂とである、これを苦しき世と觀ずるは斯の美を知らぬためである、吾等は人々の所謂苦しき世を、最も愉快で、いかにも住むに甲斐ある世と觀じ、自分の生涯の滿足と幸福とを喜んで居る。見よ美術の世界には和樂の榮光輝き、不老不死の靈泉湧き出でて、現實世界の妄執、煩悶、懊惱等に苦しむ人の爲には以て渇を慰し、一切の妄念を根柢より除拭し、一切の邪念を杜絶して、清浄純潔なる眞如實相の月を眺めさせることが出來る、斯くてこそ人生の目的は達し得らるゝのである。余は美術に對して實際斯くの如き信仰と斯の如き趣味とを抱いて居る、然してこの信仰と趣味とを世に普及せんと欲するの趣意に基いてこの書を世に公にする、特に女性としたのはそもそも故なきにあらず次にその理由を述べて置かう。
 一、歐米にありしとき、斯道研究の傍ら親しく彼地の女子を觀察し吾女子に對比して見たのに、我の彼に勝りたる長所あると同時に我の彼に劣りたる短所も亦頗る多い。彼の長所とする所は非常に多いが、自分の見解を以てすれば、まづ第一に、彼には女子の最も必要とする美術思想の勝れてゐる事を擧げねばならぬ。我が女子をして美術思想を養しめるのは目下焦眉の急務である。
 一、吾國に於ても美術の必要を認め、美術學校の設けられてより漸く美術の聲が高くなり、海外に學ぶの士も年々に増加し、研究所は各所に設けられて、斯道に遊ぶもの亦日一日より多くなるのは、實に賀すべく祝すべき事である、女子に在りても漸く女子美術學校の設立ありて進運には向つて居るものゝ、女子全體に渉つては、まだまだ美術教育が重視せられて居らぬため、從て美術思想が乏しい。而もこれは女子が自己の爲また家政を完全に處理して行く上には、第一に修むべきものである。
 一、余は歸朝以來、某女學校に於て聊か教鞭を執り、美術教育の上に得る所があつた。といふのは、元來日本人は男女を問はず、生れながらにして藝術の技倆を備へて居るので、美術思想に乏しいのは學ばざるの罪であると確信する事を得たのである。美術學校及び良師のある地方に於ては、欲するまゝに學び得らるゝも、然らざる地方にあつては、志はありながら學ぶ事が出來ず、強て學ばんと欲すれば是非とも手引書に依らなければならぬ。學ぶには順序と方法とあり、これだに誤らなければ、如何なる人にも學び得らるゝのである。
 一、女子は生來男子と性を異にし、總てが柔和繊弱で、自ら生活に對する職分も相違して居るから、之を根柢として男乎の分限をつくさなくてはならぬ。で、かういふ論法でゆけば、女子には女子に應ずる水彩畫法があるべき筈。予はこの目的のために、女子の獨習書を編纂したのである。
 一、女子の學ぶ可き繪畫として、在來の日本畫は可なるが如くなるも、これは寫生に重きを置かず、寫意又は抽象的にして、寫生の親しき美術を作り出す事や、自然に親しんで美趣味を養ふ上には頗る不便で、どうしても現時の社會に應ずる美術として不適當である。水彩畫は正格な畫法を以て寫生を主とし、自己の感想を自由に描き現はし、應用も亦頗る濶く、描畫の上にも輕便なもので女子の學ぶべき繪畫としては最も適當して居ると思ふ。
 本書は右の趣旨に基いて編纂したのであるが、兎角藝術にたづさはるものは文筆に踈く、殊に予の迂愚なる着眼と淺薄なる智識とは、定めし大方の嘲笑を招くのであらう。それは無論覺悟の前で、元來不肖は人に教ふるの大任に當る可きにあらず、只赤誠なる微志が聊かたりとも、斯道の普及に貢獻する事を得ば余はそれを以て滿足する。

この記事をPDFで見る