淺間の裾[上]

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第二十九
明治40年10月3日

 九月二十五日曇より雨
 高崎に着きしは正午なり、此處にて長野行に乗換ふ、車室寂蓼他に一客なし、横川を發して、碓氷のトンネルを入りては出ること數回、その第五號の中程にて、いかにしけん俄に進行の力鈍りて車の止まりしかと思はるゝと同時に、黒き煙りは渦まき入りて室に満ち忽ち燈火を消しぬ、煙りは彌がうへに入り來りて今は呼吸さへ苦しきに、車はたゞゴーゴーと高き響を立つるのみにて、進むにやはた退くにや知るによしなし、黒白もわかぬ車室のうち、いかにとも詮すべなきに、顔を床にっけて時の移るをまつのみ、かくて數分の後、やゝ明るくなりゆくと共に、ひたと車は停まりぬ、見れば吾室は半ばトンネルを出しのみにて、猶後には五六の客車の、闇き穴の中に煙りに包まれてあり、乗合の人々の耐えがたからんにと思へどもいかにともなしがたし、顔も手も煤煙のために黒く汚れて、眼のみ光れる火夫の、こなたを指して來るに、何とせし事ぞと問へば、蒸汽の力の弱りしためにて、此先の通行には少しの差支もなしと云ひぬ、やがて車は動きはじめしが雨中輕井澤に停まること二時間あまり、かくて目指す小諸に着きしは夜の七時なりき。停車場にては三宅氏小提灯ともして我を待てり、偖チエツキ出して荷物を受取らんとするに番號合はずとて渡さず、荷物には我が名札もあり、此驛の係りも間違なき事はよく知れど、一應問合せて上ならではといふ、今宵入用の品もあれば迷惑一方ならず、我の不注意といふにあらぬにと、猶強て求めて、中なる在品書き上げて調べを受け、漸くにして受取ることを得たり、これより三宅氏の家なる袋町迄いと近しといふに、車夫をも雇はで革鞄を背にして隨ひゆきしが、暗き道に足元危ふく屡々躓かんとし、荷は重く肩は痛みてたえがたかりき。
 

入江河合新藏筆

 二十六日雨、晴
 淺間近くして風いと寒きに、この家は、そのかみ藩士の住居なりしとかにて、紙障のみにて雨戸を用ひざれば、空氣冷やかに初冬の感あり、彼岸明けて十日の後には霜降るが例なりしといへば、冬はいかに住み憂からんと思はれぬ。今朝は雨いたくふるに何處にも往きがたく、三宅氏と共に物がたりをつゞく。午近きころより空晴れたり、氏に伴はれて乙女ヶ城にゆく(懐古園と稱し今は公園となりて僅に城の石垣を殘すのみ、樹木多く眺望に冨む。午後よりは手城塚に寫生す、近き山の日を背にしてインヂゴそのまゝのいと暗きに、前の岡の月を浴びて赤く黄に輝ける、對照の妙に心動きて筆とりしが、その感の萬一を寫さずしてやみぬ。
 家に歸れば丸山氏來り待てり、明日は我を田中に伴はんとてなり。
 

川口湖中邨文學士筆

 二十七日曇、雨
 朝寒露梅とよばるゝ小なる果物を食ふ、苔桃と稱し淺間に産すといふ、味ひ梅の實の如し又葡萄の如し、日光の山々にも多くありといふ。
 十時過る頃丸山氏來らる、千曲川を渡りてゆく事數町、山を登る事八丁にして有名なる布引觀音堂あり、崩れたる石段を上れば丹に塗りたる小堂あり、これより上は梯子あり鐵鎖ありて登道危ふし、傍に大なる寺あり、見るべきものなけれど參詣の人は絶えし事なしといふ。もと來し道を下りて千曲川に沿うてゆく、數町にして顧みすれば、山上黒き岩に白き筋の鮮やかに現はるゝを見る、これ布引の稱の起る所以なりといふ、小雨ふり來るに急ぎ加澤の橋を渡る、米つみし舟を流せしとて里人あまた川下さして走りゆく、水嵩高く流急なれば、船をとめ得べきや否心許なし。田中に着きて我が宿るべき家の事問ふに、何處の旅店も、内藝妓ありて騒がしければ、素人家こそよけれ、舊本陣の老夫婦住居へる家の前に空屋あり、そこなれば静かにてよからんといふ、言ふが儘に到り見れば、表通りの長屋にして八疊の間一つあり、五六日の辛抱は難きにあらじと思へば、田中の住居を此處と定めつ。さて丸山氏と共に禰津なる氏を家に向ふ、山田或は桑畑の中を車通はぬ小路を上りゆく、田の水道路に溢れて歩行に苦しむ、新屋といふ小村を過ぎて今來し方を顧みれば、立料山脈横はりて千曲川に臨み風光雄偉なり、この春はこゝにて三宅氏寫生せり、彼處も寫せりなど丸山氏の語るをきゝつゝ、一時間餘にして漸く氏の邸にいたりつき、母屋を離れし氏の書齋に入りて寫生畫の數々を見、★の地の自然について語ること繁く、思はずも夜を更しぬ。
 二十八日晴
 空は名殘なく晴れぬ、庭に蔭を作る葡萄の棚には、青★圓なる實のこちたくみのれり、垣の近くには盆大の日向葵の花勢よく高さを競へり、舶來の草花亂れさきて紅紫とりどりなる氏の手づから培ひしものと覺しく床しさ限りなし。朝の八時氏に別れてひとり小諸さして歸り、荷物をとゝのへ三宅氏方を辭して汽車にて田中へゆく、三宅氏も共に來らる、昨日借りし室を清め、さてさし當り入用なればとて、荒物うる店にゆきてランプを求む、釣ランプありて自在鍵なく、煙管掃除の針鐵貰いて間に合はす、火鉢布團の類は本陣より借り受け、食事は近くの旅店五月女屋に通ふ、食事終りても茶を出さず、たゞ素湯のみ、不自由たとへがたし。夜に入りて三宅氏を停車場に送り、さて歸りて臥床に入りしが、その頃より近傍の旅店俄かに絃聲起り、無遠慮なる底抜騒ぎに苦しめられ、それに加へて、久しく人住まざりし此家の、蚤多くして終に曉近くまで眠に入りがたかりき。
 

水彩畫研究所七月例會一等田上勉輔筆

 二十九日曇より雨
 詫しき臥床を出て、表を流るゝ小溝にて顔を洗ふ、流れは絶えず變れど、町中の家々皆こゝにて物洗ふ事とて、水面脂うきて氣味よからず、五月女屋にゆきて朝の食事をなす、例の通り茶の用意なし、梅干添えし握飯受とり、千曲川の岸にゆきて下流を寫す、空くらくして沈欝に、調子面白からず、小雨ふり出せしをもつて午後二時頃樂しからぬ家に歸る。たゞさへ暗き部屋なれば今日は燈欲しき程にて、今寫し來りし繪を出して見るよすがもなし、窓近くよりて、覺束なき光りに書物よまんとするに、隣家なる基督教會にては、町の子供を集めて何事か語り、板敷の上を下駄にて踏み交ふ音騒がしく、牧師の妻君金切聲して、「お這入りなさい」「お願ひですから這入つて下さい」「赤い紙を上げます、綺麗な繪を見せてお話をします」とうるさくも人々をすゝめ、兎角して幾人かを引込みて後は、讃美歌あり説教あり、耳も聾せんばかりなるに耐え兼ねて、手拭片手に洗湯にゆくに、湯札十枚金五錢、壁に新しき金縁鏡あり、白き紙に「鏡一面、田中青年御一同樣より」と大書せるを見たり、風呂の割合に新しく湯の清かりしは幸なりし。
 食事毎に五月女屋に通ふは太儀なるべし、今宵よりこなたにて賄はんと、本陣の老人より申來れば、その意に任せつ、到り見れば、老夫婦いと親切にもてなさる、この家には二疋の狗、一疋の猫、數羽の鶏ありて、猫と鶏は室内に上るも誰叱るものもなく、狼藉を極む。猫は主人より先に食事し、膳の上を泥足にて走り廻るなり、鹽辛き茄子の煮つけ、悪臭ある香のもの、例によつて茶といふものなし、三宅氏の談に、信州人は茶が大好物にて何處へゆくも茶の馳走なりといはれしが、我不幸にして未だ快よき茶の馳走に逢はず、茶を多く用ふるは佐久郡の一部分なりといふ、惣じて此邊は質素といふを通り越して衣食佳とも見苦しき處多し。
 三十日雨
 小諸附近には終月雨のふりくらすといふ事なしときゝしが、今日は夜に入るまでやまず、主翁は退屈ならんとてまだ青き柿の實いくつか持來る、澁くして食ふにたえず、筋とらぬ鞘豆、種ぬかぬ冬瓜、鹽引の鱒に一日をくらしぬ。(つゞく)

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