贅録[二]


『みづゑ』第二十九
明治40年10月3日

■大阪では昔の人力車はチヤランチヤラン高い音をさせたものだが近頃はカタンカタンに變つた■一つは道路がよくない■心齋橋の通りは狹いね■大阪で廣い往來は城の近處許りであらう■城の石垣の何處やらにお福の面に似た石がある、その石を見詰めてゐて、若しお福さんがニコつと笑つたのを見たら其人は其年内に死ぬげな■同し城の外濠に蛙石といふのがある、その上へ乗ると何となく濠へ飛込みたくなつてこれも屹度死ぬげな、今は圍いがしてある■おゝ怖や怖や■道頓掘から千日前は毎晩賑やかなもんや■この邊の仰山な人の中に袴をつけてゐるものは皆無、帽子を冠つてゐるものは曉の星大阪は書生の少ない處だ■こゝらで何か買ふなら言ひ値の半分につけても負ける■大阪は裸體の都だ、男でも女でも家の中では殆と丸裸、子供は往來でも着物は着てゐない■襦袢一枚のふしだらな女を幾人見た事か■感心なことには女學生は東京よりも質素だ■やり切れないのは鱧の御馳走さ■恐らくあんな無味なものはあるまい■魚を煮るに酒も味淋も使はぬ、野菜を煮るに砂糖を惜しむ、何だつて旨いものゝある筈がない■東京の蕎麥は大阪ではうどん、鹽ぜんべいはかき餅■菓子の美味なるを曾て食はず

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