吾等の寄宿舎


『みづゑ』第二十九 P.13-15
明治40年10月3日

■大阪で一日五十錢といへばさぞ酷いものだろうと思つて來たら大違ひ■革鞄をさげて西照館は何處かと人に問ふたら、西照館では貴方がたの宿はしますまい、一寸夕飯を喫へに徃つても一人前二圓位ひはかゝりますといはれて間違ひではないかと思つた■不取敢投宿した宿から西照館へ移るとき、宿の番頭にその事を言ふたら、頭の上から足の瓜先迄見上げ見下して呆れてゐた、よほどヱライ御客様とでも思つたのであらう■ガラガラと車で乗込むとパッと門口の電燈が灯くところなどは素敵なものさ■玄關から突當りが百余疊の大廣間、階子段を下ると小さな座敷が澤山、モ一つ下りた處が我等の寄宿所だ■十五疊が一間、十疊が六間、六聲と四疊半が六つか七つある、眞中には一間幅の長廊下、西の方は緑側で惣ガラス、中々廣大なものだ■此大廣場へは他の客一人も入れぬ、頗る賛澤なわけさ■西は廣庭で樹木が一ばい、空と梢が見えるばかりて見晴しといふて前に何も見えぬが快活だ■この下にまだ大きな二階屋の建物がある、上の方にも廣い座敷がある、西の方には城の天主閣めいた建物があつて、上には大きい金色の鯱が乗つてゐる、朝は白壁が紅に染まつて美しい■蚊帳の中から見た朝の景色は中々よい、峠の上にでもありそうな赤松か二三本空に抽出てゐて蝉の聲がする、丁度山中に居るやうだ■大阪で蝉の聲をきくのはお安くないとの事だ■大阪では西が明いてゐないと風が入らぬとの話だが、西日が遠慮なく這入り込むのには恐れる■當りまへさこの家は西照館で、町は夕陽ケ丘といふのだ■其上恐れるのは蚊の多い事だ、晝でも藪蚊が出て來て少しも油斷が出來ぬ■困つた事はまだまだある、洗面處には金盥が一つしきやない■風呂は早くから沸いてゐるのだか、埋る水がないとて九時過でなくては入れぬ■これは西照舘の罪ではない大阪市がわるいのだ■市中は午前四時頃から夜に入る迄水道斷水だ、こんな不便な事はない■場處によつては夜の十一時頃でなくては水の來ぬ處もあるとさ■夜中に水を汲んで置かぬと飯を炊き損ふ事もあるとさ■水道の出來た時分井戸は多く潰させたのだから今更大困りとの話だ■晝間歸つて來て身體を拭く事も出來ぬ、下の堀井戸は少し濁てゐて氣味がわるい■風呂番が汲置の水を使用されるを苦しがつて内から心張棒をかつてある■それとは知らずに誰かの悪戯かと思つて大骨折つて叩いたが開かなかつた■浴室は立派だつた、ハンドルを捻ると天井から霧の雨が落ちて來るなど至れり盡せりといふべし■新しい酒樽の空いたやつに水を汲込んで置て、それで湯を埋めたから堪らない、まるで酒風呂に入ったやうに匂つた■ナント贅澤なものだろう■酒風呂にはカツタイ病みが這入げな■オヤオヤ■風呂も奇麗であつたが便所も大きく奇麗だつた■男子用の便所にレデースはおかしい■大阪では女子でも男乎用を便ふのだよ■酒の相手を專業とする女中共に、泊り客の扱に馴れぬ故でもあらうが萬事不行届なのには困つた■最初の晩は枕が不足でブツブツ言つてゐたのもあつた■物をたのむと一時間もしないと返事が來ない■『一ペんたづねて見ませう』これが女共の專用語だ■女共はどれもどれもだが假りに等級を附すと、第一おマサさん、第二おスヱどん、第三おシゲくん、第四おウメはん、第五おトヨちやんで、おトヨは實に下等だ、他におヒロさんといふ一寸年寄ったのがあるが滅多に出て來ぬ■お茶は土瓶の中へお呪禁ほど、いつだつて茶らしい色のしてゐた事はない■朝飯が間に合はなくつて先生は二三度喫べすに徃かれた■食堂の電燈はわるく暗いよ■K、T、君は吾等寄宿舎の元締で、皆呼んでオトツサンといふ■オトツサンの顔つき髭の工合ドー見てもよく似てゐるので、誰だか前韓國皇帝の稱を奉つた■この皇帝中々隠し藝が澤山ある、講談は尤もお得意、源氏節は抜群■蚊帳の外へ轉げ出して腕を蚊に食はれ貧血を起したのは東京のM、Y君だ■オトツサンは夜中に寝處を廻って歩行て夜着をかけてやる、あまり剥く兒は自分で抱いて寝る、實に親切だ■道頓堀へ活動寫眞を見に往つて、大雷雨に逢つてズブヌレで歸つた人か二三人ある■二三十錢見當で芝居へ往つたら、壹圓あまりもとられたとコポしてゐた人も五六人は居た■K、K君は肥えてゐるので二十貫の綽號がある■ノラノラしてゐるので大蛇だともいふ■女中共は達磨さんとよんでゐる■キリギリスなんていふ名もあるそうな■『あまりよく眠つてゐる』といひながらM先生スケツチブツクを持つて蚊帳を覗いたら、中で聞つけたK、N君が大の眼をパツチリ■M先生といへば風呂に入るとき、わざわざ二階から座敷へ手拭をとりに來たが見當らぬ、これは不思議と猶よく尋ねたら、何の事だ自分の肩の上に載つてゐた■直さんはおマサさんの弟に似てゐるとさ■「若い人達が二十人も居てこの大人しい事は」とは女中共の嘆賞■I、T君の衛生係は御苦勞さまであつた■洗濯物はまだ出來ぬかと顔見る毎におマサさんを責めたものだから終には下へおりて來なくなつた■彗星を見るといふて夜中に起きて廣間でマゴツイた人もある■庭の稻荷へ夜中に一人で往けば御褒美が出るとの事だ■その御褒美はたゞ御言葉だけだとさ■近處の生國魂紳社内には淀君が祀つてある、大阪の人はそこへ蛇を棄てに來る、夫がためか西照館にも蛇が多く、夜分は蚊帳の廻りを這つてゐるとの話だ■これを聞いたM、Y君は振え上つた■今では大概見當り次第に殺して仕舞つたそうだが、それでも一丈あまりのが一匹殘つてゐる、去年迄は二度も姿を見せたが、今年は抜殻だけであるとか■庭の奥に暗い大穴があるが多分その中に居るのだらう■昔しは大きな白蛇が居たが今では下の寺へ移つたとのこと■それは、その白蛇を千日前の香具師に三十圓で賣る約束をしたので、蛇も驚いて寺へ逃込んだ譯だ■坊主に夢枕にたつとさ■蛇は見ないが足を伸したら五寸位ひは大丈夫ある蜘蛛が壁に居た■ヤモリも居ますとさ■ドーしたのか近來女中共が氣が利いて來て朝など起されるやうになつた■不思儀な事もあつたものだ■先生方の早起には驚く、今朝はと思つて飛起きて見るとチヤーンと机に向つて手紙を書かれてゐられる■それでなくば朝飯前に天王寺へ寫生に往かれる■一たい朝飯前に寫生にゆくなんて事は僕等の思ひも及ぼなかつた仕事だ■西照館の夜廻りは拍子木でもなく、大皷でもない、鐵棒でもない、一層ハイカラに學校や停車場で使用する大きなペルを振るとは驚いたろう■何だか直ぐ汽車が出そうで、又學校が初まつたやうにも思はれて氣忙しない■西照館の小さな娘が自分を描いて貰いたいといふて盛装して來たが、人物と來ては一同閉口頓首■そのくせ風景もあまり上手でもないくせに■西照館に泊つて共同生活の趣味が判つた■一生懸命に水貼をやつてゐる最中電燈の消えたのには一同狼狽を極めた■最初の懇話會には皆遠慮勝で格別面白くはなかつたが第二回目の寄宿舎茶話會は大に振つた■J、S君の動物園は大喝采■東京上りの痩せた鶏もよかつたが、ノラリクラリの大蛇も愉快であつた■チンチュー君はどう見ても坊主だ、何かお経もやつてはドーか■S、I君の筑前琵琶はよかったね■よく食ふたもので飯櫃を三度代へさせた事もある■漬物は奪ひ合だ■お菜はちと少ないが料理屋たけ材料の新しいのはよかつた■料理も中々上手のやうだ■滿員で斷つたゝめ他に下宿してゐる人の話では、食物は實に酷いとさ■蚊帳に穴があつて一晩苦しめられたとの話もあつた■吾等の寄宿所はいろいろの不便もあつたが、兎に角又と得られぬ立派な家で、この位ひなら滿足せねばなるまいて。

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