寄宿舎片々
風流生
『みづゑ』第二十九 P.16
明治40年10月3日
□講習生の始めて三脚を天王寺に下すや、集り見るもの蟻の如し、五月蝿と云ふよりも寧ろきまり悪るく、雨か降り出した風が強いとて、成るべく人の來らざる方面へ避くるもの多し、之を探して奔走さるゝ講師の勞、誠に多とすべきものあり。
□西照館の湯甚熱し、而も午後九時以後水道の水通ずるに至らざれば浴するを得ず。寄宿生之に困しむ、假令定期の時間に至るも能く入るもの少し、寄宿生相謂つて曰、「オイ君、フキに行かうカネ」と云ふに至る、其熟さ加減以て知るべし。
□住吉よりの歸途、竹下君汽車を乗り誤つて灘波驛に至る、流石の竹下君大に狼狽し、究計畫に助役を認め、摩きて曰、「私は天王寺驛へ乗るのでしたが、温雜中汽車を間違へましたが・・・・・・」曰よろしいと、竹下君ホット一息、惜むらくは此際此體をスケッチするものなかりしを。
□二十貫君彗星に熱中し、毎夜寄宿生を呼び起し、三更三階に登りて眺望するも好結果を得ず、勿論其間種々の滑稽ありしも事神秘に屬し、一々茲に列擧するを得ずと雖、彼のホーキボーシの如きは慥に云ひ譯なるを知るに難からず、余輩は二十貫君に多謝す、兎に角君によりて、多く寂蓼を破りし事多かりしを。
□余等一夜中座の活動寫眞を見、頗る鮮明にして且巧妙なるを稱す、數日後寄宿生大擧して見物を試み、歸來失望の色あり、「二の替りは面白くなかつた」と、一人漸く心づき、「違たぞ君、前のはモット向ふの方だつたと、余透さず冷評して曰「ドーモ田舎物には困るね、僕が行かないとハヤ此始末」と失敗連苦笑す。
□上田君氷と西瓜を嗜み、其量甚多し、就疲後ガバガバゴボゴボ恰も海嘯の押し寄するが如し、同室の者健康を慮り窃に忠告する所あり、上田君遂に悟らず、「癪に障つて、癪に障つて寝られない」と人其所以を知らす。
□十五日の夜烈風烈雨外出するを得ず、余等之を機とし室會(第二室)を開催す、他室の者悉く來集し講師も亦臨席を辱くし、錦上更に花を添ふるの感あり、名は室會に過ぎずと雖、實は全體の茶話會と云ふを憚らず、外は風伯の暴るゝと共に、内は親密の談話綿々として盡きず、漸く十時過ぎに至りて閉會せり、何ぞ計らん此夜は各地暴風浸水等被害夥多しかりしと、余等少しも之を知らず、唯和氣靄々室中に充滿せしを覺えしのみ。
□大下先生自作の寫生畫を、西照館に陳列し、一々説明の勞を探られ、漸く進みて「之れは僕が朝飯前に空腹の時書いたのだ」と云はるゝや、講習生某直に「其腹のへつたのは何時間かゝりましたか」と問ふ滿場哄笑す。