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『みづゑ』第二十九 P.19
明治40年10月3日
□今回都合により春鳥會は單に『みづゑ』の發行所とし、從來の會員は新に起るべき日本水彩畫會に移し申候
□日本水彩畫會は春鳥會の發展せしものにつき會員の徽章等は從前のものを用ひ可申候
□日本水彩畫會規定出來迄、從前の會員の事務は凡て小石川區關口駒井町大下藤次郎方にて取扱可申候
□規定は前春鳥會のものと大同小異につき引續き入會差支無之候
□新に出來致候水彩畫研究會は日本水彩畫會に屬し可申候
□爾後日本水彩畫會の報告は雑誌『みづゑ』廣告欄に掲載可致候
□本號の口繪は鎌倉鶴ケ岡八幡社前にてワツトマン四ツ切大に御座候、この繪は強き日光の感じを畫きしものにて、繪具を洗ひ又は幾度も重ねるといふこともなく、出來るだけ彩料の光澤を保存すべく勉めしものに候
□讀者諸君の寄稿は次號以下追々掲出可致候
□次號にはこの程擧行されたる中學教員檢定試験の有樣を詳細登録可致候
□本號は講習會の記事多く候爲め例號よりは二頁を増し申候
□本號挿入の寫眞版は第二回講習會々員の殆と全部にして、正面は五重の塔の一部に候。階段上、左の方欄に倚りたる洋服姿は松原講師、中央暗き處に顔のみ白きは大橋講師、左の方欄に手をかけて立てるは大下講師に候。猶次號には、澁温泉に於ける講習會々員の寫眞を掲出可致候。