讀者の領分


『みづゑ』第二十九 P.20
明治40年10月3日

■『みづゑ』表紙の色の名を毎號明示されたし(MO生)◎原色と同じ色が出ぬため製本間際に至らざれば不明、且複色にして色の名を示すに困難なり■一東京又は外國の苦學畫家の消息を知りたい二田代二兄君よ御住所不明につき御知らせを乞ふ三諸先生が外國へ御出になつた時分のことを本誌へ出して下さい(大阪笑波)■度々『みづゑ』口繪の三色版がドーの石版が宜いのと希望を云ふて居らるゝが僕は失張り三色版の方が優等と思ふから此儘に繼續を願ひたし(霞汀生)■僕はこの間文房堂で買物をしようと思つて規則通り往復ハガキで照會したら返事どころか何の音沙汰もありやしねい、それから店員の不勉強、大面、等は池田家先組傳來だそうで(田舎物)◎これは宇都宮の消印あり、豫て文房堂の注文を望む■僕は畫架、傘杖、寫生道具携帯用袋等を譲りたし、御希望の方は下名へ御照會あれ(福岡市外春吉三番町掘方稻垣子)■自筆水彩畫繪葉書御交換願上候着次★直ちに返信致すべし(大阪市南久寳寺町二丁目植實方朱翠)■來年奈良で屹度講習を開いて下さい(京都玉水生)■口繪は美しき三色版と極められたし、又博覽會出品の幹部各位の水彩畫を口繪にせられたし(M0生)◎出品畫は手許になきもの多く且面積大なる故三色版として不結果ならん

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